坂町事件
From Wikipedia, the free encyclopedia
事件の概要
1946年9月22日午前0時50分頃、村上警察署の加藤巡査部長は署長の指令により警察官7人を指揮し、坂町駅構内で、闇米輸送の取締りを行っていた。駅のホームには40~50人の朝鮮人・中国人がいたが、彼らは一斉に姿をかくした。
加藤は、置き去りにされた中身が米の荷物7、8個を発見。待合室にいた人々に誰の荷物か聞いたところ、15人くらいの集団の中から中国人が「俺のものだ!」と名乗り出た。
加藤が本人確認書類の提示を求めたところ、他の者が「殴れ!」「叩け!」と叫び、これを合図に集団が襲いかかって来た。
警察官らが応戦しているとホームに列車が到着し、列車内から朝鮮人20人ほどが下車し集団に加勢した。朝鮮人らは警察官らに暴行を加えた後、発車間際の列車に乗り込み逃走した。
同日午後、また闇米を(坂町駅から)運搬しようとしているとの情報が村上警察署に入った。
午後4時頃、河津警部補以下10人の私服警察官が坂町駅前の丸屋旅館をパトロールした結果、闇米を発見。
取り締まろうとしたところ、14~15人(約50人との記録もあり)の朝鮮人・中国人が襲いかかってきた。
警察側が攻撃できないことを知ると、彼等は殴る蹴るの暴行に加え、パトカーを破壊したり、警察官の警察手帳をとりあげたりした。河津警部補は拉致された。
警察側は逮捕はせず、一旦引き上げた。
警察は戦後しばらくの間、朝鮮人や中国人を逮捕しにくい状況であった(朝鮮が日本から独立した事や、中国が戦勝国になった事などが理由とされる)。
その後、GHQの新潟支部の係官が現地に到着し、朝鮮人・中国人に対して「日本に在住している限り、日本の法律に服さなければならない事」、「警察官の闇米取締を拒否する事は、連合国の指令に反するものである事」を言い渡し、取り締まりを許可した。
GHQの許可が出た事で、警察は厳しい取り締りが可能となり、12人が逮捕された。
