堺谷和将
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来歴
1989年に進学した日本大学ゴルフ部では丸山茂樹の1年後輩、河井博大・野上貴夫の1年先輩となる[1] [2]。
1998年のアイフルカップでは2日目に66をマークして初日86位タイから[3]飯合肇・室田淳・高橋勝成・白浜育男・宮本勝昌・久保谷健一・桧垣繁正・金山和雄と並んでの18位タイ[4]、3日目には67をマークして[3]河村雅之・田中秀道と並んでの8位タイ[5]に浮上し、最終日には3日連続60台となる69をマークして[3]湯原信光・東聡・吉村金八・陳志忠(中華民国)と並んでの5位タイ[6]に入った。
1998年には後援競技の茨城オープン・東北オープンを勝利し、1999年には初のシード権を獲得[7]。
1999年の千葉オープンでは初日に66をマークして首位でスタートし、田口康祐と同スコア優勝[8]。
2000年にはJGTO TPC イーヤマカップで2日目に67をマークして初日28位タイから[9]藤田寛之・手嶋多一・小山内護・飯合と並んでの8位タイ[10]に浮上し、最終日には小山内と共にキー・フラ・ハン(ミャンマー)、広田悟と並んでの7位タイ[11]に入った。
2000年の東海クラシックでは奥田靖己と並んでの5位タイ[12]に入った。
2001年の全英への道 ミズノオープンでは2日目に66をマークして初日14位タイから[13]ジーブ・ミルカ・シン(インド)、ゾウ・モウ(ミャンマー)と並んでの3位タイ[14]に浮上し、3日目には久保谷と並んでの2位タイ[15]に着け、最終日には近藤智弘・平塚哲二と並んでの5位タイ[16]に入った。
2001年の久光製薬KBCオーガスタでは3日間2位タイ[13]に着け、最終日には伊澤利光と並んでの4位タイ[17]に入った。
2001年のジョージア東海クラシックでは2日目に67をマークして初日46位タイから14位タイ[13]、3日目には8位タイ[13]まで浮上し、最終日には立山光広・杉本周作・細川和彦・奥田・鈴木亨・横田真一と並んでの10位タイ[18]に入った。
2002年のつるやオープンではデビッド・スメイル(ニュージーランド)、桑原克典・鈴木と並んでの6位タイ[19]に入った。
2024年の倉本招待イーグルカップでは最終日は44位タイからスタートし、18番では8mを沈めてのイーグルを奪取して唯一のイーグル賞を獲得するなど、1イーグル5バーディー・ボギーフリーの65をマークして40人抜きの単独4位でフィニッシュした[20]。
主な優勝
- 1998年 - 茨城オープン、’98ツインフィールズカップ、東北オープン
- 1999年 - 千葉オープン