塩原又策
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1877年(明治10年)、塩原又市[注釈 1]の長男として横浜市で生まれた[2]。父・又市は長野県宗賀村の出身で、横浜に出て土地の貸付で財を成していた[3]。塩原は父が60歳になってからの子であった[1]。普通小学校を卒業し、横浜英語学校で英語を、並行して漢学・数学も学び[4]、またアメリカ人について商業学を修めた[5]。
明治30年(1897年)、父の知人であった大谷嘉兵衛の経営する日本製茶会社に入社し、実務の手ほどきを受けた[3]。次いで父と大谷が共同出資し設立した横浜絹物会社で取締役支配人になり羽二重の輸出に取り組むが、生糸相場の激変などがあってこの事業は失敗し1901年(明治34年)[6]に会社解散に至った[4]。
絹物会社を経営していた時期、友人の西村庄太郎が渡米するにあたって新規事業の探索を依頼したところ、米国に移住し研究活動を行っていた高峰譲吉が発見した消化酵素タカジアスターゼを知ることとなった[7]。日本で自ら販売することを検討していた高峰は、西村と会見したのち塩原と電信で交渉を行い、塩原は1898年(明治31年)にタカジアスターゼの輸入販売権を獲得することに成功した[6]。1899年(明治32年)、塩原と西村に加え、塩原の義弟である福井源次郎の3名による出資で、匿名合資会社三共商店を設立し横浜市弁天通に店を構えた[8][注釈 2]。
1902年、三共合資会社は世界最大の製薬会社であったパーク・デイヴィス製薬(Parke-Davis)の日本総代理店となった[注釈 3][5]。1903年(明治36年)1月には、時事新報紙面にタカジアスターゼの広告を掲載した[9]。これは日本で初の日刊紙における新薬広告掲載とされる[10]。1905年(明治38年)には雑誌『治療薬報』『薬学月報』を相次いで創刊し、医療・薬剤関係者への積極的宣伝を行った[9][10]。さらに1902年には高峰譲吉のアドレナリン、また1911年には鈴木梅太郎が発見したオリザニンの輸入販売権を獲得し、何度かの組織改編を経て1913年(大正2年)に三共株式会社を設立、高峰譲吉を社長に迎えた。塩原は同社の専務取締役に就任した[11]。
1908年には三共がジョンソン・アンド・ジョンソンの代理店、フォード社の総代理店となる契約を締結[12]。
1915年11月、内国製薬常務取締役就任[11]。1916年、サトウライト株式会社専務取締役就任。1920年5月、キシライト株式会社社長就任[11]。同年9月、東京石鹸製造株式会社社長就任[11]。1923年、大和醸造株式会社代表取締役[11]。1929年(昭和4年)7月9日、三共社長に就任する[11]。
また1932年1月27日、アメリカのベークライトの特許権を得て日本ベークライトを設立した[11]。
1940年4月5日、長男の塩原禎三が三共社長に就任し、塩原又策は会長に就任した[11]。1946年12月31日退任[11]。
1955年(昭和30年)1月7日午前、胃癌のため東京都渋谷区の自宅で死去。同月10日に聖イグナチオ教会で告別式が行われた[13]。
家族
- 父・塩原又市(1816年? - 1905年2月) ‐ 船舶給水業[14]、不動産業。長野県宗賀村洗馬宿出身で、明治維新直後に横浜に出て吉田新田の井戸水を市中に売り歩く商売を始め、横浜港に出入する内外船舶への飲料水販売で大成、土地家屋を多数入手して貸地貸家業を始め、立身出世の豪商として知られた[1][3][15]。1905年(明治38年)2月に89歳で死去した。
- 妻・千代(1886-) ‐ 大鳥圭介の娘ひなと逓信技師・奥田象三の長女。東洋英和女学校在学中の後輩に村岡花子。[16]
- 長女・朝子 (1906-) ‐ 石崎政一郎の妻
- 二女・英子(1908-) ‐ 陸王内燃機取締役・永井信二郎(1895-)の妻。夫は一宮藩士・永井退叟(大槻文彦の母方伯父)の孫で、東洋海上火災保険取締役・永井好信(1861-)の二男、慶應義塾卒業後、高田商会、時事新報社を経て三共入社。妹婿は子爵加納久朗の二男。[17][18]
- 長男・塩原禎三(1909-) ‐ 三共社長。岳父に菊本直次郎。
- 三女・智子(1911-) ‐ 服部正次の妻
- 三男・塩原良三(1916-) ‐ 大和醸造役員。岳父に赤星鉄馬。[19]
- 五男・高峰健三(1920-1945) ‐ 高峰譲吉の養子となるも戦死[20]
- 六男・高峰英三(1922-) ‐ 兄に代わって譲吉の養子となる。大和醸造役員。妻の妙子は大川平三郎の外孫であり、本州製紙社長の田辺武次の二女。[20][19]
- 六女・邦子(-) ‐ 元国際原子力機関職員、セイコー電子工業社長・原礼之助(1925-2015)の妻。
- 妹・トヨ(1878-) ‐ 三共の共同創業者・福井源次郎の妻。三共の名は塩原と福井と西村庄太郎の3人の共同出資の意。