塩津義雄

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国籍 日本の旗 日本
出身地 鹿児島県
生年月日 (1939-11-25) 1939年11月25日(86歳)
身長
体重
180 cm
77 kg
塩津 義雄
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 鹿児島県
生年月日 (1939-11-25) 1939年11月25日(86歳)
身長
体重
180 cm
77 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手外野手
プロ入り 1958年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

塩津 義雄(しおつ よしお、1939年11月25日[1] - )は、鹿児島県[2]出身の元プロ野球選手内野手外野手)。

鹿児島商業では強打の内野手として知られ、1957年夏の甲子園東九州大会準決勝に進むが、高鍋高に完封負けを喫する。

1958年大毎オリオンズへ入団[2]。同年は最終戦で三塁手として初先発出場を果たす[3]。翌1959年は内野のユーティリティプレイヤーとして13試合に先発。10月17日後楽園球場での西鉄ライオンズとの最終戦で田中喜八郎からプロ入り初本塁打を記録[4]1960年外野手も兼ね、準レギュラーとしてリーグ優勝に貢献。大洋ホエールズとの日本シリーズでは、最終第4戦で右翼手、八番打者として起用されるが1三振1四球に終わった。

1961年は故障もあって出場機会がなかったが、翌1962年には復活。6月20日には東映フライヤーズ土橋正幸から9回裏にサヨナラ右翼適時打を放つ[5]。同年はイースタン・リーグ首位打者を獲得[2]1963年には主に中堅手として自己最多の30試合に先発出場。8月31日には西鉄ライオンズの畑隆幸から4回に決勝3点本塁打を放った[6]

1965年中日ドラゴンズへ移籍したが一軍出場はなく、同年7月24日に自由契約となった[7]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1958 大毎
東京
3551210030000000010.400.400.6001.000
1959 2762616142011950000100123.230.242.311.553
1960 425650681031860100600151.160.250.360.610
1962 4969684193102440300100161.279.290.353.643
1963 76140133123032243135100601372.226.264.323.588
1964 595957411001144000020092.193.220.246.466
通算:6年 256391374338410371213255001601909.225.258.324.582
  • 大毎(毎日大映オリオンズ)は、1964年に東京(東京オリオンズ)に球団名を変更

背番号

  • 25 (1958年 - 1964年)
  • 50 (1965年)

脚注

関連項目

外部リンク

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