塩見俊雄
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塩見熊吉の長男として高知県高岡郡戸波村(現・土佐市)に生まれる。農業のかたわら青年団に入り戸波青年団会長、高岡青年団会長(5ケ町村連合)などを歴任。1922年(大正11年)戸波村産業組合の職員に採用され、翌年には専務理事に抜擢される。1926年(大正15年)には高知県産業組合中央高知市会の職員となる。
その後高知県農業会高岡支部経理課長、農業会金融課長(昭和20年)となるが、翼賛壮年団長をしていたため、GHQによる公職追放を受ける。サンフランシスコ講和条約の締結により、日本が主権を回復したことに伴い、1953年(昭和28年)追放解除。翌年第1時合併で誕生した高岡町の初代町長になる。1958年(昭和33年)には第2時合併の土佐市初代市長に当選。市制発展の基礎を築いた。1962年(昭和37年)市長を退任後、土佐信用組合の理事長となり「母の蓄財運動」などを推奨し、組合の経営基盤を固めた。1988年(昭和63年)2月27日死去。死没日付をもって正六位に叙された[2]。