伊賀上野車坂七面屋敷(現・三重県伊賀市)の赤貧の家に生まれる[2]。平蔵の長男[3]。幼くして父を亡くし、母によって育てられる[6]。1844年、母が亡くなり、嘉兵衛は天涯孤独の身となる[7]。魚の行商を業とする[6]。
猪田屋に奉公する[2]。14歳の春、大坂に出て、海産物問屋榎並屋に住み込む[7]。文久2年、横浜で増田屋をひらき、外国糖の輸入で富をきずく[4]。1869年、横浜為替(横浜銀行の前身)の創立に加わる[4]。
1884年、家督を長男増蔵に譲り、分家して一家を創める[3]。中央倉庫取締役社長[5]、第二銀行[3]、横浜製糖各取締役などをつとめる[1][5]。