応永15年(1408年)10月8日に増珍(今小路良冬の子)より伝法灌頂を受けた[4]。増詮という名と足利義持の法名「道詮」の下の字が同じだということで義運と改名が命じられた。応永20年(1413年)、足利義持によって武家護持僧に任じられ、その後の義教政権下でも護持僧となった。義教とは「御親睦」の関係であり、義教主催の和歌会などでは常連参加者であった。康正3年(1457年)に、後継者となった増運(近衛房嗣の子)へ門跡領などを相続させた。当初後継者は、足利冬氏の子息・義命と決まっていたが、義命は師である義運に背き実相院から引退している。