夏允彝
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夏 允彝(か いんい、1596年 - 1645年)は、中国明末の文人、政治家。字は彝仲。号は瑗公。弟は夏之旭。子に夏完淳。復社と幾社の主要成員として、また清軍に対する抵抗運動の指導者として知られる。夏 允彝は徐孚遠・陳子龍・杜麟徴・彭賓・李雯とともに、「幾社六子」と称された。
生涯

1596年(万曆24年)、南直隸松江府華亭県(現在の上海市松江区)の知識人家庭に生まれた。幼少時から学問に励み、才覚を示した。
1637年(崇禎10年)、進士に合格。福建省長楽県の知県に任命され、善政を敷いて名声を得た。
北京城が李自成の軍に落とされ、崇禎帝が自害した後、南京で弘光政権が成立すると、夏允彝は吏部考功司主事に任命された。後、すぐに官職を辞して故郷に戻った。
弘光政権が崩壊し、清軍が江南に侵攻すると、夏允彝は同志の陳子龍らとともに抗清運動を組織した。1645年、義軍の指導者であった吳易の軍に参加するため、弟子の戴之儁や息子の夏完淳とともに奔走した。吳易の軍は敗北し、松江も清軍の支配下に落ちた。多くの同志が捕縛・処刑される中、夏允彝は覚悟を決めた。同年9月17日、友人であった明の将軍・侯岐曾の別荘に身を寄せていた夏允彝は、遺書を残して自沈し、殉節した。遺体は3日後に発見され、生前の指示に従って埋葬された。
文学著作
文学においては復古主義を掲げる「雲間詩派」の代表的な人物であり、詩文に優れた。主な著作に『幸存録』『私制策』『禹貢合注』『夏允彝詩文集』などがある。
家族
- 妻:盛氏
- 長女 夏淑吉
- 妾:陸氏
- 長子 夏完淳:明末の詩人であり、若くして父と同様に抗清運動に参加し、処刑された。
- 次女 夏恵吉
参考文献
- 『明史 卷277』
- 計六奇、『明季南略』
- 屈大均、『皇明四朝成仁録』
- 小野和子、『明季党社考』、京都大学学術出版会、1996年