多田昌綱
From Wikipedia, the free encyclopedia
永禄10年(1567年)12月、父・昌俊が武蔵国岩槻(埼玉県さいたま市岩槻区)で戦死後、幼少の昌綱は、外戚の土屋昌次に養育された[1]。武田氏の滅亡後は徳川家康に仕えた[1]。
天正12年(1584年)、小牧・長久手の戦いに従軍する[1]。
天正18年(1590年)、武蔵国鉢形で采地を与えられた[1]。
天正19年(1591年)に九戸政実の乱に従軍した。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの際は徳川秀忠率いる東山道軍に参加し、第二次上田合戦に加わった。
慶長6年(1601年)、徳川義直の傅となり、300石を加増された[1]。
慶長10年(1605年)1月20日、死去[1]。39歳[1]。法名は法三[1]。
子孫は徳川氏の旗本となった。