大久保喬樹
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茨城県古河市生まれ[1]、横浜市育ち[1]。1965年東京教育大学附属駒場高等学校卒業[1]、1969年東京大学教養学部教養学科フランス科卒業[1]。同年、『美術手帖』の創刊20周年記念懸賞評論に「ジャクソン・ポロック」で当選。1970年、東京大学大学院人文科学研究科比較文学・比較文化修士課程進学[1]。高階秀爾、遠山一行、江藤淳らが主宰した『季刊藝術』『音楽藝術』や『美術手帖』『文藝』『海』などに次々と音楽・美術評論を書き、早熟新進の評論家として注目を集める。1971年10月、パリ第3大学比較文学科修士課程および高等師範学校 (フランス)(エコール・ノルマル・シュペリウール)に留学[1]。在仏中、『季刊藝術』編集長の古山高麗雄に「留学記を書かせてくれ」と申し出でて、翌年始めから「問うことと見出すこと」の題で連載を始める。また『新潮』1972年6月号には「パリで川端康成の死を聞く」を掲載した。同連載は『パリの静かな時』として刊行され、江藤淳の賞賛を受けた。
1972年10月、比較文学修士の学位を取得(パリ第三大学)[1]。1974年6月、パリ第三大学比較文学博士課程中途退学[1]、東京大学大学院人文科学研究家修士課程中途退学[1]。1974年東京工業大学助手[1]、1979年東京女子大学文理学部専任講師[1]、1981年同助教授[1]、1991年同教授[1]。2015年同大学特任教授、2017年同大学名誉教授。
文芸評論は次第に執筆しなくなったが、1989年に『岡倉天心』で第1回和辻哲郎文化賞を受賞した。
2020年11月12日、死去。74歳没[2]。