安政4年(1857年)暮れ、利通が27歳の時に結婚。利通が藩主の側近として京都や鹿児島を行き来する間、満寿は鹿児島で家を守った。
明治維新後も鹿児島で暮らしていたが、盟友であった西郷隆盛との対立が表面化して以降、大久保家の立場は厳しくなり、明治7年(1874年)に上京し、利通と暮らすようになる。
明治11年(1878年)5月、利通が紀尾井坂の変で暗殺される。満寿は体調を崩して病床につき、半年後の12月に死去した。『明治天皇記』では12月6日に死去し、9日の葬儀に宮中から勅使が差し遣わされたとする。死亡日は17日とする年譜もある。
夫・利通と共に青山墓地に葬られた。