大久保立
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元旗本・静岡藩士、大久保忠寛の三男として生まれる[2]。父の死後、兄である大久保業が襲爵したが2年後に[3]28歳で死去したため、1890年(明治23年)8月7日、家督を相続し子爵を襲爵[1][4]。1898年(明治31年)4月、グラスゴー大学造船課を卒業し、1899年(明治32年)1月に帰国した[1]。
1899年2月14日、海軍造船少技士に任官し呉造船廠造船科主幹に就任[1]。以後、横須賀造船廠造船科主幹、兼海軍大学校教官、横須賀海軍工廠造船部部員、江都丸乗組、関東丸乗組、横須賀工廠造船部部員、関東丸工作長、舞鶴海軍工廠造船部長心得などを経て、1912年(大正元年)12月1日、海軍造船大監に昇進し舞鶴工廠造船部長に就任[1][5]。佐世保海軍工廠造船部長を務め、1918年(大正7年)12月1日、海軍造船総監に進み横須賀工廠造船部長となる[1][5]。1919年(大正8年)9月23日、海軍武官官階表の改正により海軍造船少将と改称され、艦政本部出仕を経て、1922年(大正11年)12月1日、海軍造船中将に昇進と同時に待命となる[1][5][6]。1923年(大正12年)3月31日予備役、1933年(昭和8年)4月22日後備役を経て、1938年(昭和13年)4月22日に退役した[1]。
1925年(大正14年)7月10日、貴族院子爵議員に選出され[7][8]、研究会に所属して活動し死去するまで在任[9][10]。その他、資源審議会委員、液体燃料委員会委員、学習院評議会議員などを務めた[1][9]。墓所は多磨霊園。
