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大井虎昌

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大井 虎昌(おおい とらまさ、明応8年〈1499年〉 - 天正7年12月14日〈1579年12月31日〉[1][2])は、戦国時代の武将。甲斐武田氏の家臣。官途名は監物、因幡守[1]。

大井信達の子で[1]、「一本武田系図」によると五男[3]。

武田信虎・信玄・勝頼の3代に仕えたとされるが[2]、その動向ははっきりしない[1]。天正7年(1579年)12月14日に81歳で死去し、甲府瑞泉寺に葬られた[1][2]。法名は一渓宗義[1]。

娘に油川信貞の妻がいる[4]。油川信貞を仁科盛信の子とする史料(加古川市住武田忠男氏蔵)において、信貞は油川信次の妻に養育されたとされるが、大井因幡守(虎昌)の家でも養育を受けたという記述がある[5]。

子孫

脚注

参考文献

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