大友正人
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日本大学高校時代にチームのエースとして、第56回全国高校サッカー選手権へ出場。
卒業後は大学進学を目指して予備校に通っていたが、1979年のシーズン途中より、日本サッカーリーグ(JSL)1部に所属する読売クラブの選手として追加登録されると、同年のJSLカップでは準決勝・決勝戦合わせて3得点の活躍で、クラブに初タイトルをもたらした。その後も快足の左ウイングとして長きに渡りレギュラーに定着。80年代に世界的スーパースターであったアルゼンチンのディエゴ・マラドーナになぞらえて「和製マラドーナ」の異名をとった。また、1981年には青山学院大学二部(夜間)に合格し、サッカーと学業の両立を成功させた。
1980年2月6日、岡山・岡山県営陸上競技場におけるウイペシュティ・ドージャ(ハンガリー)との国際親善試合で日本代表デビューし[2]、国際Cマッチ2試合に出場。
1983年にはリーグ3位タイとなる5アシストを記録して、読売クラブのJSL初優勝に貢献した。
JSL1部通算105試合出場18ゴール19アシスト[3]。
現役引退後、当時は無名だった武相高校サッカー部の監督に就任すると、2002年にインターハイ初出場、2009年には全国高校サッカー選手権初出場へと導き、神奈川県を代表するサッカー強豪校へと育て上げた。また、2003年に行われた静岡国体では神奈川県選抜の監督としてチームを率い、日本一の座に輝いた[4]。
2015年4月よりクラブ・ドラゴンズ柏のコーチに就任。