日本サッカーリーグ

From Wikipedia, the free encyclopedia

日本 サッカーリーグ
加盟国 日本の旗 日本
大陸連盟 アジアサッカー連盟
創立 1965年
開始年 1965年
最終年 1992年
国内大会 天皇杯
リーグカップ JSLカップ
最多優勝クラブ 1部:東洋工業読売クラブ(5回)
2部:読売クラブ、本田技研工業日本鋼管住友金属東芝(2回)

日本サッカーリーグ(にほんサッカーリーグ、Japan Soccer League、略称:日本リーグ、JSL)は、1965年から1992年まで存在した日本サッカーリーグ[1]

1965年、日本で初めてとなる全国規模のサッカーリーグとして、実業団8クラブ(オリジナル8)により結成された。日本のサッカーの競技レベル向上を目的とした。

結成当初は日本代表の活躍とともに人気を集めるが、1970年代には早くも実力・人気ともに低下。1980年代になるとプロ化を視野に入れたクラブが台頭し、これを契機にプロリーグへの発展的解消が行われる。1993年からは日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)およびジャパンフットボールリーグ(旧JFL)へと改組された。最末期には2リーグ28チームまで拡大していた。

歴史

創設経緯

JSL発足前の日本のサッカー界は、年に幾度か数週間程度の期間を取ってトーナメント方式の試合を行う程度であり、試合の機会が少なく、かつ、社業に対する影響もあった。この状況に対して、日本代表コーチを務めたデットマール・クラマーの残した「リーグ戦形式にしなければ日本の強化にはならない」との提言がもとになって、サッカーリーグが成立することになった[出典 1]。当初の中核メンバーは、西村章一重松良典を中心に設立委員会を作り[出典 2]長沼健岡野俊一郎平木隆三が後に加わり[出典 3]、創設された[出典 4]。発足後の1966年、長沼はサッカー協会機関誌の座談会で、JSL発足の目的を、

  • 会社員として仕事を守りながら、高い技術のスポーツを続けていけること
  • サッカーの普及に役立つこと
  • 第一線選手に日常トレーニングの目標を与え、激しい試合経験を積ませることで、国際試合への準備をすること

の三つの柱として挙げた[13]

リーグの規模は、クラマーの提案は、ドイツの北部・南部・西部3リーグ制の地域リーグであるレギオナルリーガに類するものを想定していたが、長沼たちは、新幹線在来線を乗り継げば「全国リーグ」が出来ると反撥して、全国1区のリーグ構成を選択[出典 5]。参加チームは、社会人クラブでの強豪であった東洋工業八幡製鐵古河電工三菱重工日立の5チームがまずは決まり[7]、更にヤンマー豊田織機名相銀の3チームが加わり、計8チームが初期メンバーになった[出典 6]。当初は大学チームも参加させる方針で、早稲田大学を誘ったが[7]、大学リーグの日程との調整が難しいと参加が見送られた[11]。将来の大学チームの参加を見越して、リーグ名には「実業団」を入れず、「日本サッカーリーグ」という名称にした[出典 7]。アマチュア競技で全国レベルのリーグ戦を行うのは、日本ではサッカーが初めてであった。

第1回大会1965年6月6日に開幕。初年度はアマスポーツ界初となる全国リーグで関心も高く[4]、1試合平均観客数は2,382人と、関係者以外には関心を持たれなかったそれ以前に比べれば驚異的な動員といえた[4]。初代王者は東洋工業が輝いた。メンバーの大半を本拠地広島出身者で固めた東洋工業は、結束力が強く、練習環境にも恵まれ他チームを圧倒[出典 8]第4回大会まで四連覇[出典 9]第6回と合わせて5度優勝する、初期の強豪クラブであった[出典 10]

また、1960年代後半から1970年代前半にかけては、全日本(以降、日本代表)のメキシコ五輪での銅メダル獲得もあり注目を集めた。メキシコ五輪のあった1968年シーズンは1試合の平均観客は7491人にのぼり[17]、その中でも釜本邦茂を擁するヤンマーディーゼルと、杉山隆一を擁する三菱重工は実力と人気を二分した。

サッカー冬の時代

しかし70年代に入ると、日本サッカーは実力、人気ともに低下し、「冬の時代」と呼ばれる不振期に突入する、上述のメキシコ五輪に日本代表の活躍でサッカーブームは到来したが[出典 11]、日本ファンの観戦対象は『ダイヤモンド・サッカー』に代表されるテレビで放映されるヨーロッパクラブの試合や[18]1978年アルゼンチン大会からNHK中継が始まったワールドカップなどの国外チームの試合であった[19]。日本で行われる試合で客が入るのは国外チームとの親善試合であった。その親善試合でも実力の差は歴然としていて、例えば1975年3月、スウェーデン代表を迎えた親善試合では、スウェーデン代表が若手中心のメンバーであったにもかかわらず、[出典 12]、日本代表は3連敗を喫した。3試合で唯一日本代表が得点を挙げたのは森孝慈釜本邦茂のコンビによる1点だけであり[18]、当時の日本選手で海外チームと対等に戦えるのはこの二人だけであった[18]

1974年にはJSLの会計が赤字に転落し[18]、サッカー専用球技場の建設のための積立金を取り崩して補填に宛てる自転車操業状態になった[18]1977年のシーズンは1試合の平均観客は史上最低の1733人を記録する[17]。入場料収入は無いに等しく、テレビ放映の機会も年に2、3回程度でしかなかったことから[21]、JSLの運営資金はほとんど全て加盟チームの分担金によって賄われていた[21]

1976年に日本サッカー協会専務理事に就任、実質的に日本サッカー界の舵取り役を担う立場になった長沼健[出典 13]、不振に陥ったサッカー界の改革の乗り出す。長沼は、不振の最大の原因は、サッカーのピラミッドが日本にできていないからだと考え[19]、底辺の拡大と分厚い日本代表チームの構成を目指した[出典 14]中体連から猛反発を受けたが、個人登録制度を導入するなどで資金を集め[出典 15]、コーチング・スクールの開校などに時間と金を投入し、代表チームをそれまで派遣していなかったアジア大会や各種ユース大会に派遣させ[18]、各地で小・中学生のサッカースクールが開校されるようになり、底辺拡大の芽を育てた[出典 16]

プロ化の進展・Jリーグへの改組

1985年ワールドカップアジア予選で日本代表がプロ化を先んじていた韓国に完敗を喫したことで、日本のサッカー界でもプロ化への動きがようやく具体化し始めた[出典 17]

この頃、読売クラブ日産自動車といったプロ化を視野に入れたクラブが台頭しており[26]、1986年のスペシャル・ライセンス・プレーヤー[出典 18]制度が導入される。この制度導入の背景には、ヴェルダー・ブレーメン西ドイツブンデスリーガ所属)から契約延長を要請されていた奥寺康彦が、「選手として衰えていないうちに」日本のサッカー界の為に己の全てを捧げたい、として古巣古河に復帰を希望していたこともあった。他にも、全日空横浜サッカークラブ・ボイコット事件が影響していると言われている。

制度の導入によって勢いに乗った読売、日産両クラブが、以降はタイトルをほぼ独占し、サッカーファンの人気を集める。JSL解散直前の1991-92シーズンの第21節、1992年3月22日に国立霞ヶ丘競技場陸上競技場で行われた両チームの試合では6万人の観衆を集めた。しかし、同シーズン開始時には前述の各チーム(古河は翌々年のJリーグ開幕に向け1991年6月11日東日本JR古河サッカークラブに名称変更して、この時点で既に現役を退いていた奥寺が初代GMに就任した)も全選手をノン・アマチュアとして登録するなど、1部所属チームではマツダに数名のアマチュア登録選手がいた以外はすべてノン・アマチュア登録選手であった。また2部でも16チーム中6チームがすべての選手をノン・アマチュア登録した(ちなみに読売ジュニオール所属選手は外国籍選手を除きすべてアマチュア登録で、トップチームである読売クラブとは差別化がはかられている)。

1988年に森健兒日本リーグ総務主事が「活性化委員会」を設置[出典 19]。以降、1989年に「プロリーグ検討委員会」[25]、1991年「プロリーグ設立準備室」を経て[25]、1991年11月に社団法人日本プロサッカーリーグが正式に発足すると1992年3月29日の最終節を持ってJSLは廃止され[25]日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)と下部組織のジャパンフットボールリーグ (旧JFL) とへ発展解消されることとなった[25]

特徴・評価

全国リーグの先駆け

JSLは、クラブスポーツに先んじて、全国規模の恒常的なリーグ戦を開催する事例となった。このシステムはのちにバレーボールバスケットボールラグビーアイスホッケーなどが踏襲することとなる[出典 20]

施設面の充実

地方のクラブを筆頭に、当初からある程度の練習施設を確保しているクラブは少なくなかった。特に工場内に練習場を確保していた東洋工業(マツダ)が1965年から68年にかけて4連覇を達成すると、他クラブもこれにならって練習施設の充実を図るようになった。首都圏では土地の確保などが難しかったものの、多くのクラブが自前の練習場やクラブハウス、夜間照明なども確保するようになった。Jリーグクラブの中にはこれらの施設を現在でも使用しているところがある。

アマチュア主義と形骸化、プロ化への道

当初は社業に影響がないように純粋なアマチュア主義の確立を目指していたが、後にこれは形骸化し、サッカーの練習が社業に優先するようになったり、サッカーをしていても賃金に影響しないようにすることが当たり前になってきた。このような体制を企業アマといい、サッカーに関わらず日本のスポーツ界では広く見られた。旧共産圏や東欧で見られた「ステート・アマ」の企業版であるが、企業アマは日本独自のものである。

さらに企業アマが進んで、試合の結果に対して選手に報酬を渡すクラブが出てきた。特に読売クラブの選手は「社業」といえるものを持っておらず、彼らがサッカーを職業とし、その対価として給与をもらっているという事は公然の秘密であった。JFAではこれを追認する形で1985年からスペシャル・ライセンス・プレーヤーという、事実上プロ選手としての登録を認めた[出典 21]。「プロ」という呼称を使っていないのは、その方が日本体育協会としても認めやすいという日本テニス協会の先例があったためである(テニス協会ではこれ以前に選手のプロ登録を認めていた)。これによって、当初JSLが目指した「アマチュアによるリーグ」は全く形骸化してしまった。

こうして選手の実質的な「プロ化」は進んだが、実力・運営ともにアマチュアレベルで、当時のラグビーなどと比べても人気も高いとはいえなかった。またいくつかの問題がアマチュアレベルでは解決できないとして、プロリーグへの待望論が生まれてくる。プロリーグ構想は「読売」や「日産」「全日空」「ヤマハ」といった後発クラブの方が積極的であり、「古河」「三菱」「日立」といったクラブは消極的であった。しかし、後発クラブに「古河」「三菱」からのスタッフを加えたプロジェクトチームがプロリーグ構想を推し進め、1991年日本プロサッカーリーグの構想が発表され、1993年にJリーグが開幕した。Jリーグの発足を受け、1992年をもってJSLは終了した。

JSLでは解決されなかった問題

  • 観客動員
  • 国内サッカーの知名度
  • スタジアムの充実。特に関東のクラブが主催する試合では東京都の国営施設・国立霞ヶ丘競技場陸上競技場国立西が丘サッカー場での開催が比較的多かった。また他の関東圏でも三ツ沢公園球技場など、充実した施設が整備されたのはごく限られていた。
  • 日本サッカーのレベルアップ
  • 地方クラブの充実
  • 企業の業績に左右される体質
  • 現役を引退した選手のその後の職の確保(コーチ業、解説者等)
  • 下部組織の充実

JSLに参加したクラブ

地域クラブ名ホームタウン創設参入1部在籍1部優勝2部在籍2部優勝変遷後継クラブ
東北 TDK秋田県由利郡仁賀保町1965年19850-2- ブラウブリッツ秋田
関東 住友金属大阪府(1947-1974年)
茨城県鹿島郡鹿島町(1975年-)
1947年19743-152回 鹿島アントラーズ
茨城日立茨城県日立市1923年19740-1-  
NTT関東埼玉県1969年19870-5- RB大宮アルディージャ
埼玉教員埼玉県1953年19820-2-  
日立製作所東京都小平市(1940-1985年)
千葉県柏市(1986年-)
1940年1965241回31回日立本社→日立製作所柏レイソル
古河電工千葉千葉県市原市1967年19760-2- VONDS市原[注釈 1]
三菱重工兵庫県神戸市(1950-1957年)
東京都(1958年-)
1950年1965264回11回三菱重工→三菱自動車浦和レッズ
読売クラブ東京都1969年1972145回62回 東京ヴェルディ
読売ジュニオール東京都1979年1990/910-2-  
東京ガス東京都1935年1991/920-1- FC東京
古河電工神奈川県横浜市1946年1965272回0-古河電工→JR古河ジェフユナイテッド千葉
日産自動車神奈川県横浜市1972年1977122回3- 横浜F・マリノス
全日空クラブ神奈川県横浜市1964年19845-31回全日空横浜→全日空クラブ横浜フリューゲルス
日本鋼管神奈川県川崎市1932年196721-42回日本鋼管→NKK 
富士通神奈川県川崎市1955年19722-181回 川崎フロンターレ
東芝神奈川県川崎市1935年19783-112回東芝堀川町→東芝北海道コンサドーレ札幌
フジタ工業栃木県(1968-1974年)
東京都、神奈川県平塚市(1975年-)
1968年1972183回21回藤和不動産→フジタ湘南ベルマーレ
東邦チタニウム神奈川県茅ヶ崎市1955年19830-7-  
甲府クラブ山梨県甲府市1965年19720-20- ヴァンフォーレ甲府
東海 ヤマハ発動機静岡県磐田市1972年1979111回21回 ジュビロ磐田
本田技研工業静岡県浜松市1971年197511-62回  
日本軽金属静岡県清水市1948年19720-2-日本軽金属→羽衣クラブ 
藤枝市役所静岡県藤枝市1959年1988/890-1-  
中央防犯静岡県藤枝市1982年1991/920-1- アビスパ福岡
トヨタ自動車愛知県、静岡県裾野市1939年19728-121回トヨタ自工→トヨタ自動車名古屋グランパス
豊田自動織機愛知県刈谷市1946年19653-2-  
名古屋相互銀行愛知県不明19656-0-  
名古屋クラブ愛知県名古屋市1950年19810-1-  
西濃運輸岐阜県1974年19850-3-  
コスモ石油三重県四日市市不明19800-7-大協石油→コスモ石油 
関西 京都紫光クラブ京都府京都市1922年19720-10- 京都サンガF.C.
京都府警京都府京都市不明19850-2-  
NTT関西京都府不明19720-7-電電近畿→NTT関西 
松下電器大阪府1980年19845-31回 ガンバ大阪
大日日本電線大阪府不明19720-4-  
田辺製薬大阪府大阪市1927年19721-191回  
大阪ガス大阪府大阪市1946年19850-6-  
ヤンマー兵庫県、大阪府、滋賀県1957年1965264回1- セレッソ大阪
ヤンマークラブ兵庫県1972年19760-4-  
中国 川崎製鉄岡山県倉敷市、岡山市1966年19860-6-川崎製鉄水島→川崎製鉄ヴィッセル神戸
東洋工業広島県広島市、安芸郡府中町1938年1965225回5-東洋工業→マツダサンフレッチェ広島
マツダオート広島広島県広島市不明19870-2-  
永大産業山口県熊毛郡平生町1972年19733-11回永大産業→永大 
四国 大塚製薬徳島県1955年1990/910-2- 徳島ヴォルティス
帝人愛媛県松山市1960年19730-12-帝人松山→帝人 
九州 新日本製鐵福岡県北九州市1950年196517-9-八幡製鉄→新日本製鐵 
  • 太字は初年度シーズンに参加したチーム(オリジナル8
  •   は現在Jリーグのクラブ
  •   は現在活動していないクラブ

JSL1部

成績

シーズンクラブ数優勝クラブ準優勝クラブJSL1部からの降格クラブJSL1部への昇格クラブ総観客動員数総得点数
119658東洋工業 八幡製鉄133,400216
21966東洋工業 八幡製鉄名古屋相互銀行日本鋼管201,700183
31967東洋工業 古河電工豊田自動織機名古屋相互銀行322,550225
41968東洋工業 ヤンマー419,500185
51969三菱重工 東洋工業328,150176
61970東洋工業 三菱重工301,800179
71971ヤンマー 三菱重工名古屋相互銀行藤和不動産308,700172
81972日立製作所 ヤンマートヨタ自工
田辺製薬
281,500177
9197310三菱重工 日立製作所田辺製薬永大産業260,800264
101974ヤンマー 三菱重工299,600262
111975ヤンマー 三菱重工268,200268
121976古河電工 三菱重工永大(脱退)富士通232,400238
131977フジタ工業 三菱重工トヨタ自工読売クラブ159,650315
141978三菱重工 ヤンマー富士通日産自動車191,900245
151979フジタ工業 読売クラブ日本鋼管ヤマハ発動機200,630248
161980ヤンマー フジタ工業日産自動車本田技研工業196,630263
171981フジタ工業 読売クラブ新日本製鐵
ヤマハ発動機
日本鋼管
日産自動車
163,080214
181982三菱重工 ヤンマー日本鋼管ヤマハ発動機194,150214
191983読売クラブ 日産自動車マツダ日本鋼管248,870193
201984読売クラブ 日産自動車住友金属
全日空横浜
327,700252
21198512古河電工 日本鋼管住友金属
全日空横浜
松下電器
マツダ
481,450323
221986/87読売クラブ 日本鋼管松下電器
日立製作所
住友金属
トヨタ自動車
731,950278
231987/88ヤマハ発動機 日本鋼管マツダ
トヨタ自動車
全日空横浜
松下電器
640,300238
241988/89日産自動車 全日空クラブ住友金属
三菱重工
東芝
日立製作所
664,800292
251989/90日産自動車 読売クラブフジタ工業
日立製作所
三菱重工
トヨタ自動車
540,000305
261990/91読売クラブ 日産自動車ヤンマー
NKK
日立製作所
マツダ
754,300287
271991/92読売クラブ 日産自動車885,400318
  • 降格チームは次のシーズンからJSL2部(JSL2部設立以前は各地域リーグ)へ参加
  • 昇格チームは次のシーズンからJSL1部へ参加
  • 第1回から第8回までは下位2チームが全国社会人大会上位2チームと入れ替え戦を行なう
  • 第9回はチーム数増加のため降格なし
  • 第10回から第15回までは下位2チームがJSL2部上位2チームと入れ替え戦を行なう
  • 第16回から第19回までは最下位のチームが自動降格、9位のチームがJSL2部の2位と入れ替え戦を行なう
  • 第20回はチーム数増加のため降格なし
  • 第21回以降は下位2チームが自動降格
  • 第21回から従来の春秋シーズンから秋春シーズンへ移行
  • 第22回から大会名称のシーズン表記を「開幕年-閉幕年」へ変更

クラブ別優勝回数

クラブ名回数優勝シーズン
東洋工業51965, 1966, 1967, 1968, 1970
読売クラブ1983, 1984, 1986/87, 1990/91, 1991/92
三菱重工41969, 1973, 1978, 1982
ヤンマー1971, 1974, 1975, 1980
フジタ工業31977, 1979, 1981
古河電工21976, 1985
日産自動車1988/89, 1989/90
日立製作所11972
ヤマハ発動機1987/88

クラブ別通算成績

クラブ名 創設 初出場 最終 勝点 P勝 P敗 優勝 最高 最低 変遷 後継クラブ
1三菱重工1950年19651991/92267504602111010251326825071754回1位12位三菱重工→
三菱自動車
浦和レッズ
2古河電工1946年19651991/9227731482203811131577055961092回1位10位古河電工→
JR古河
ジェフユナイテッド千葉
3ヤンマー1957年19651990/9126703460195510851476795701094回1位11位セレッソ大阪
4日立製作所1940年19651991/922454341615110764175581608-271回1位12位日立本社→
日立製作所
柏レイソル
4東洋工業1938年19651991/922254337614998071315264241025回1位11位東洋工業→
マツダ
サンフレッチェ広島
6フジタ工業1968年19721989/901852034014457491084953721233回1位11位藤和不動産→
フジタ
湘南ベルマーレ
7読売クラブ1969年19781991/92145032801441655654812861955回1位9位東京ヴェルディ
8日本鋼管1932年19671990/9121396378984908178404601-197-2位12位日本鋼管→
NKK
9新日本製鐵1950年1965198117385274110640910943340627-2位9位八幡製鉄→
新日本製鐵
10日産自動車1972年19791991/9212384244109254178315284312回1位10位横浜F・マリノス
11ヤマハ発動機1972年19801991/92113222268606407625524961回1位10位ジュビロ磐田
12本田技研工業1971年19811991/921128922672073081251267-16-3位10位
13全日空クラブ1964年19851991/92513911038025047131145-14-2位12位全日空横浜→
全日空クラブ
横浜フリューゲルス
14松下電器1980年1986/871991/92512811031035044122152-30-5位11位ガンバ大阪
15トヨタ自動車1939年19731991/92810515624033099128363-235-5位12位トヨタ自工→
トヨタ自動車
名古屋グランパス
16東芝1935年1989/901991/9238266190250227276-4-4位9位東芝堀川町→
東芝
北海道コンサドーレ札幌
17永大産業1972年1974197636954190120236783-16-5位9位永大産業→
永大
18住友金属1947年19851988/89360661501503650101-51-10位11位鹿島アントラーズ
19名古屋相互銀行不明1965197163884901106476210-134-6位8位
20富士通1955年19771978228366307203267-35-9位9位川崎フロンターレ
21豊田自動織機1946年196519673204240803038112-74-6位8位
22田辺製薬1927年197319731418101016751-44-10位10位
  •   は現在Jリーグのクラブ
  •   は現在活動していないクラブ
  • 勝ち点は、以下のルールで算出(勝利=3、PK勝/引分/PK敗=1、敗戦=0)
  • 1977-1979の3シーズンは、90分を終えて同点の場合はPK戦を実施
  • 地域リーグとの入替戦(1965-1971、全国社会人サッカー選手権大会の上位クラブとの試合)、JSL2部との入替戦(1973-1983)はカウントしていない

個人賞

シーズン得点王 ゴールデンボール賞アシスト王 シルバーボール賞
11965日本の旗 野村六彦(日立)
15得点
アシスト制度なし
21966日本の旗 小城得達(東洋)
14得点
日本の旗 桑田隆幸(東洋)
8アシスト
31967日本の旗 木村武夫(古河)
15得点
日本の旗 川淵三郎(古河)
9アシスト
41968日本の旗 釜本邦茂(ヤンマー)
14得点
日本の旗 杉山隆一(三菱)
8アシスト
51969日本の旗 落合弘(三菱)
12得点
日本の旗 杉山隆一(三菱)
11アシスト
61970日本の旗 釜本邦茂(ヤンマー)
16得点
日本の旗 宮本輝紀(新日鐵)
8アシスト
71971日本の旗 釜本邦茂(ヤンマー)
11得点
日本の旗 杉山隆一(三菱)
10アシスト
81972日本の旗 松永章(日立)
12得点
日本の旗 吉村大志郎(ヤンマー)
8アシスト
91973日本の旗 松永章(日立)
11得点
日本の旗 釜本邦茂(ヤンマー)
日本の旗 田辺暁男(古河・アシスト王のみ)
9アシスト
101974日本の旗 釜本邦茂(ヤンマー)
21得点
日本の旗 高田一美(三菱)
ブラジルの旗 ジョージ小林(ヤンマー・アシスト王のみ)
7アシスト
111975日本の旗 釜本邦茂(ヤンマー)
17得点
日本の旗 釜本邦茂(ヤンマー)
日本の旗 平沢周策(日立・アシスト王のみ)
日本の旗 今村博治(ヤンマー・アシスト王のみ)
6アシスト
121976日本の旗 釜本邦茂(ヤンマー)
15得点
日本の旗 永井良和(古河)
8アシスト
131977ブラジルの旗 カルバリオ(フジタ)
23得点
日本の旗 永井良和(古河)
ブラジルの旗 セイハン比嘉(フジタ・アシスト王のみ)
日本の旗 安原真一(東洋・アシスト王のみ)
日本の旗 古前田充(フジタ・アシスト王のみ)
7アシスト
141978ブラジルの旗 カルバリオ(フジタ)
日本の旗 釜本邦茂(ヤンマー・得点王のみ)
15得点
ブラジルの旗 ジャイロ(読売ク)
9アシスト
151979ブラジルの旗 ラモス(読売ク)
14得点
ブラジルの旗 ラモス(読売ク)
ブラジルの旗 ジョージ与那城(読売ク・アシスト王のみ)
日本の旗 釜本邦茂(ヤンマー・アシスト王のみ)
7アシスト
161980日本の旗 碓井博行(日立)
14得点
ブラジルの旗 ジョージ与那城(読売ク)
9アシスト
171981日本の旗 吉田弘(古河)
14得点
日本の旗 永井良和(古河)
日本の旗 楚輪博(ヤンマー・アシスト王のみ)
9アシスト
181982日本の旗 碓井博行(日立)
13得点
日本の旗 尾崎加寿夫(三菱)
日本の旗 鬼塚忠久(古河・アシスト王のみ)
8アシスト
191983ブラジルの旗 ラモス(読売ク)
10得点
ブラジルの旗 ジョージ与那城(読売ク)
10アシスト
201984日本の旗 戸塚哲也(読売ク)
14得点
日本の旗 木村和司(日産)
12アシスト
211985日本の旗 吉田弘(古河)
16得点
日本の旗 浅岡朝泰(鋼管)
11アシスト
221986/87日本の旗 松浦敏夫(鋼管)
17得点
日本の旗 水沼貴史(日産)
17アシスト
231987/88日本の旗 松浦敏夫(鋼管)
11得点
日本の旗 永富浩(三菱)
11アシスト
241988/89ブラジルの旗 アディウソン(ヤマハ)
11得点
日本の旗 和田昌裕(松下)
9アシスト
251989/90ブラジルの旗 レナト(日産)
17得点
日本の旗 ラモス瑠偉(読売ク)
ブラジルの旗 メシアス(本田・アシスト王のみ)
10アシスト
261990/91日本の旗 戸塚哲也(読売ク)
日本の旗 北澤豪(本田)
ブラジルの旗 レナト(日産)
10得点
日本の旗 ラモス瑠偉(読売ク)
ウルグアイの旗 ペデルッチ(東芝)
9アシスト
271991/92ブラジルの旗 トニーニョ(読売ク)
18得点
ブラジルの旗 ジョルジーニョ(トヨタ)
12アシスト

記録

通算得点ランキング

順位選手名所属クラブ得点数
1釜本邦茂ヤンマー202
2碓井博行日立製作所85
3松永章82
4カルバリオフジタ工業→全日空横浜77
5ラモス瑠偉読売クラブ69
6宮本輝紀八幡製鉄/新日本製鐵68
松浦敏夫日本鋼管/NKK
8戸塚哲也読売クラブ67
9永井良和古河電工63
10吉田弘60
今村博治ヤンマー
順位選手名所属クラブ得点数
12細谷一郎三菱重工58
13小城得達東洋工業57
14落合弘三菱重工56
原博実
16阿部洋夫ヤンマー55
17桑原楽之東洋工業53
18柱谷幸一日産自動車52
19日高憲敬八幡製鉄/新日本製鐵50
マリーニョフジタ工業→日産自動車

通算アシストランキング

順位選手名所属クラブアシスト数
1釜本邦茂ヤンマー79
2永井良和古河電工77
3ラモス瑠偉読売クラブ65
4与那城ジョージ58
5吉村大志郎ヤンマー54
6水沼貴史日産自動車52
7今村博治ヤンマー50
8戸塚哲也読売クラブ46
9杉山隆一三菱重工45
木村和司日産自動車
順位選手名所属クラブアシスト数
11崎谷誠一新日本製鐵42
12高田一美三菱重工38
13メシアス本田技研工業36
14碓井博行日立製作所35
浅岡朝泰日本鋼管→読売クラブ
松浦敏夫日本鋼管/NKK
17カルバリオフジタ工業→全日空横浜33
内山篤ヤマハ発動機
19原博実三菱重工32
森孝慈

通算出場ランキング

順位選手名所属クラブ出場数
1永井良和古河電工272
2落合弘三菱重工267
3釜本邦茂ヤンマー251
4斉藤和夫三菱重工248
5戸塚哲也読売クラブ239
6今村博治ヤンマー230
7桑原隆古河電工215
加藤久読売クラブ
9菅野将晃古河電工210
ラモス瑠偉読売クラブ
順位選手名所属クラブ出場数
11前田秀樹古河電工209
12松木安太郎読売クラブ208
13都並敏史205
14堀井美晴ヤンマー204
15渡辺三男藤和不動産/フジタ工業201
16藤島信雄日本鋼管200
碓井博行日立製作所
18崎谷誠一八幡製鉄/新日本製鐵193
松浦敏夫日本鋼管/NKK
20楚輪博ヤンマー191

歴代試合観客数

順位観客数対戦カード開催日会場
160,000日産-読売ク1992年3月22日国立霞ヶ丘
241,000ヤマハ-日産1989年2月26日
340,000三菱-ヤンマー1968年11月17日
古河-読売ク1989年2月26日
536,000読売ク-住金1988年5月1日
635,000三菱-ヤンマー1969年4月6日
三菱-ヤンマー1975年12月14日
読売ク-三菱1989年2月26日
930,000読売ク-ヤンマー1983年11月3日
読売ク-日産1984年9月22日
日立-読売ク1992年3月15日千葉総合

JSL2部

成績

シーズンクラブ数優勝クラブ準優勝クラブJSL2部からの降格クラブJSL2部への昇格クラブ
1197210トヨタ自工田辺製薬永大産業
帝人松山
21973永大産業甲府クラブ豊田自動織機
羽衣クラブ
住友金属
茨城日立
31974読売クラブ富士通茨城日立本田技研工業
41975田辺製薬読売クラブ電電近畿
大日日本電線
ヤンマークラブ
古河電工千葉
51976富士通読売クラブ日産自動車
61977読売クラブ日産自動車古河電工千葉東芝堀川町
71978本田技研工業日産自動車京都紫光クラブヤマハ発動機
81979東芝堀川町ヤマハ発動機ヤンマークラブ(解散)大協石油
91980本田技研工業富士通大協石油名古屋クラブ
101981日本鋼管日産自動車名古屋クラブ埼玉教員
111982ヤマハ発動機東芝帝人東邦チタニウム
121983日本鋼管住友金属東邦チタニウム
埼玉教員
横浜トライスター(全日空横浜)
松下電器
131984住友金属全日空横浜西濃運輸
京都府警
TDK
大阪ガス
14198512松下電器マツダコスモ大協(コスモ石油)
川崎製鉄水島
東邦チタニウム
NTT関西
15198616住友金属トヨタ自動車京都府警
TDK
NTT関東
マツダオート広島
161987全日空クラブ松下電器西濃運輸
マツダオート広島
帝人
藤枝市役所
171988/89東芝日立製作所NTT関西
藤枝市役所
マツダオート広島
京都紫光クラブ
181989/90三菱重工トヨタ自動車帝人
マツダオート広島
読売ジュニオール
大塚製薬
191990/91日立製作所マツダ大阪ガス
新日本製鐵
東京ガス
中央防犯
201991/92フジタ住友金属
JSL1部昇格クラブ
  • 1972年のJSL2部スタート時の参加クラブは以下の10クラブ
    • 読売サッカークラブ
    • 富士通サッカー部
    • 甲府クラブ
    • トヨタ自動車サッカー部
    • 豊田自動織機製作所サッカー部
    • 田辺製薬サッカー部
    • 京都紫光クラブ
    • 日本軽金属サッカー部
    • 大日本電線サッカー部
    • 電電近畿サッカー部
  • 優勝クラブ、準優勝クラブの項に補足のあるのは次のシーズンからJSL1部へ参加
  • 降格クラブは次のシーズンから地域リーグへ参加
  • 昇格クラブは次のシーズンからJSL2部へ参加
  • JSL1部からの降格チームはJSL1部リーグの表(上記)を参照
  • 第6回までは全国社会人サッカー選手権大会上位2チームとJSL2部下位2チームで入れ替え戦を行なう
  • 第7回から第12回までは全国地域リーグ決勝大会上位2チームとJSL2部下位2チームで入れ替え戦を行なう
  • 第13回、第14回は全国地域リーグ決勝大会の決勝ラウンド進出4チームがJSL2部へ自動昇格
  • 第15回からJSL1部同様の秋春シーズンへ移行
  • 第15回以降は全国地域リーグ決勝大会上位2チームが自動昇格、JSL2部下位2チームが自動降格
  • 第15回から再参加のコスモ大協はかつての大協石油。翌シーズンから社名変更によりコスモ石油へ改称
  • 第16回から再参加のNTT関西はかつての電電近畿
  • 第17回から大会名称のシーズン表記を、JSL1部同様「開幕年-閉幕年」へ変更

クラブ別優勝回数

クラブ名回数優勝シーズン
読売クラブ21974, 1977
本田技研工業1978, 1980
東芝1979, 1988/89
日本鋼管1981, 1983
住友金属1984, 1986
トヨタ自工11972
永大産業1973
田辺製薬1975
富士通1976
ヤマハ発動機1982
松下電器1985
全日空横浜1987
三菱重工1989/90
日立製作所1990/91
フジタ1991/92

クラブ別通算成績

クラブ名 創設 初出場 最終 勝点 P勝 P敗 優勝 最高 最低 変遷 後継クラブ
1富士通1955年19721991/921862737018207831075814091721回1位10位川崎フロンターレ
2田辺製薬1927年19721991/921962241017538861385704611091回1位15位 
3住友金属1947年19741991/92154783161357615108528436922回1位10位鹿島アントラーズ
4甲府クラブ1965年19721991/92204724121315686202520714-194-2位13位ヴァンフォーレ甲府
5東芝1935年19781988/89114222301235444543912081832回1位7位東芝堀川町→
東芝
北海道コンサドーレ札幌
6トヨタ自動車1939年19721989/9012390250113445286425341841回1位9位トヨタ自工→
トヨタ自動車
名古屋グランパス
7京都紫光クラブ1922年19721991/921024921665544597278366-88-3位14位京都サンガ
8マツダ1938年19841990/9152471267302802522992137-2位6位東洋工業→
マツダ
サンフレッチェ広島
9帝人1960年19731989/9012246230666348116287450-163-5位16位帝人松山→
帝人
10新日本製鐵1950年19821990/91921818863029096227323-96-4位16位八幡製鉄→
新日本製鐵
11NTT関東1969年19871991/9252081465604005018317013-5位9位大宮アルディージャ
12川崎製鉄1966年19861991/92620315855038065188197-9-7位12位川崎製鉄水島→
川崎製鉄
ヴィッセル神戸
13読売クラブ1969年197219776201108611161292481351132回1位7位東京ヴェルディ
14本田技研工業1971年19751980619710857513825196121752回1位7位
14コスモ石油不明19801991/92719718453038093199279-80-7位11位大協石油→
コスモ石油
16日立製作所1940年19871990/9131798654017015166581081回1位4位日立本社→
日立製作所
柏レイソル
17日本鋼管1932年19801991/924167844902001515575802回1位4位日本鋼管→
NKK
18東邦チタニウム1955年19831991/92714916837038093147293-146-9位14位
19フジタ1968年1990/911991/92214460450906139321071回1位3位藤和不動産→
フジタ
湘南ベルマーレ
20松下電器1980年19841987314066410170813747901回1位3位ガンバ大阪
21NTT関西不明19721988/89713213236024072167255-88-4位15位電電近畿→
NTT関西
21大阪ガス1946年19851990/91613215034030086122282-160-6位15位
23全日空横浜1964年198419873127663701601311666501回1位11位全日空横浜→
全日空クラブ
横浜フリューゲルス
24日産自動車1972年197719813102542964510845034-2位2位横浜F・マリノス
25ヤンマークラブ1972年197619794987228950301141086-4位6位 
26大塚製薬1955年1990/911991/9228560260702777761-6位10位徳島ヴォルティス
27ヤマハ発動機1972年19791982276362225346830381回1位2位ジュビロ磐田
27大日日本電線不明197219754767220016036117140-23-6位10位 
29西濃運輸1974年1985198737362200130295487-33-4位15位 
30三菱重工1950年1989/901989/90170302204048925641回1位1位三菱重工→
三菱自動車
浦和レッズ
31ヤンマー1957年1991/921991/9216530200505561739-3位3位セレッソ大阪
32読売ジュニオール1979年1990/911991/9225960160110335793-36-8位16位 
33東京ガス1935年1991/921991/9214630120100830282-7位7位FC東京
34永大産業1972年19731973137181104035124271回1位1位永大産業→
永大
35日本軽金属1948年197219732353610050215681-25-6位10位日本軽金属→
羽衣クラブ
36古河電工千葉1967年19761977232368224203679-43-9位10位VONDS市原
37埼玉教員1953年19821983228368040242866-38-9位10位
38マツダオート広島不明19871989/902275070603746127-81-15位16位 
38中央防犯1982年1991/921991/92127307060173352-19-12位12位アビスパ福岡
40京都府警不明19851986225347040232789-62-10位16位
40豊田自動織機1946年19721973225366070233470-36-9位10位
42藤枝市役所1959年1988/891988/89110202040141138-27-16位16位
43名古屋クラブ1950年1981198117182010151672-56-10位10位
43茨城日立1923年1974197417181040131043-33-10位10位
45TDK1965年19851986243400403025113-88-12位15位ブラウブリッツ秋田
  •   は現在Jリーグのクラブ
  •   は現在活動していないクラブ
  • 勝ち点は、以下のルールで算出(勝利=3、PK勝/引分/PK敗=1、敗戦=0)
  • 1977-1979の3シーズンは、90分を終えて同点の場合はPK戦を実施
  • 1985-1988/89の4シーズンは下位リーグの東西ブロックによる順位決定戦を実施していたが、この試合はカウントしていない
  • JSL1部との入替戦(1973-1983)はカウントしていない
  • 地域リーグとの入替戦(1973-1976は全国社会人サッカー選手権大会、1977-1983は全国地域リーグ決勝大会の上位クラブとの試合)はカウントしていない

表彰

優勝チームには日本サッカーリーグ杯、総理大臣杯、日本サッカー協会杯、サー・スタンレー・ラウス杯が贈られる。

  • 優勝チーム賞(サンケイスポーツ新聞社提供)
  • フェアプレー賞
  • ゴールデンボール賞(日刊スポーツ新聞社提供)-得点王(第26回を除き1名のみ、他は得点王として別途表彰)
  • シルバーボール賞(日刊スポーツ新聞社提供)-アシスト王(第26回を除き1名のみ、他はアシスト王として別途表彰)第2回より
  • スターボール賞-第2回より第8回まで
  • 敢闘賞-第3回より第8回まで
  • 新人王(東京新聞中日新聞社東京中日スポーツ提供)-第9回より
  • ベスト・ゴールキーパー賞(ウールスポーツ/リーベルマン海外提供)-第23回より
  • 最優秀選手賞(スポーツニッポン新聞社提供)-第24回より
  • 報知・年間優秀11人賞(報知新聞社提供)-(ベスト11)第2回より
  • クリーン&エキサイティング賞(カルビー提供)-最優秀賞1名を含む優秀賞各クラブ1名(第25回より)
  • 100(200)試合出場選手-100試合ごと(272試合出場の永井良和以下17名が200試合出場)
  • 100(200)得点-100得点ごと(100得点以上の条件を満たしたのは釜本邦茂のみ、200得点表彰も受賞)
  • 優秀監督賞(アシックス提供)
  • 優秀監督奨励賞(ニッポン放送提供)-第26回より
  • 優秀審判員賞-第27回より
  • 主審30(60)試合出場-30試合ごと(85試合出場の佐野敏一以下12名が60試合出場)

入替戦

年度 JSL下位クラブ地域リーグ上位クラブ備考
2番1番1位2位3位4位以下
JSL下位 / 全社上位チーム入替
1965 ヤンマー□[注釈 2]名古屋相互銀行○日本鋼管●浦和クラブ■[注釈 2]入替戦2
1966 名古屋相互銀行●ヤンマー○浦和クラブ●日本鋼管○
1967 日本鋼管○豊田自動織機●名古屋相互銀行○トヨタ自工●
1968 日立本社○日本鋼管○トヨタ自工●浦和クラブ●
1969 日立本社○名古屋相互銀行○甲府クラブ●浦和クラブ●
1970 日本鋼管○名古屋相互銀行○トヨタ自工●甲府クラブ●
1971 日本鋼管○名古屋相互銀行●[注釈 3]藤和不動産○田辺製薬●[注釈 3]トヨタ自工甲府クラブ
富士通
京都紫光クラブ
日本軽金属
読売クラブ
大日日本電線
電電近畿
豊田自動織機
JSL2部創設により昇格枠数増
年度 JSL1部下位クラブJSL2部上位クラブ備考
2番1番1位2位
1972 トヨタ自工□田辺製薬□JSL増チームのため降格なし
1973 日本鋼管○田辺製薬●永大産業○甲府クラブ●入替戦2
1974 永大産業○トヨタ自工○読売クラブ●富士通●
1975 日本鋼管○トヨタ自工○田辺製薬●読売クラブ●
1976 新日本製鐵○トヨタ自工○富士通●[注釈 4]読売クラブ●
1977 富士通○トヨタ自工●読売クラブ○日産自動車●
1978 富士通●古河電工○本田技研工業●日産自動車○
1979 日本鋼管●日産自動車○東芝堀川町●ヤマダ発動機○
1980 ヤマハ発動機○日産自動車■本田技研工業□富士通●
1981 新日本製鐵●ヤマハ発動機■日本鋼管□日産自動車○
1982 本田技研工業○日本鋼管■ヤマハ発動機□東芝●
1983 日立製作所○マツダ■日本鋼管□住友金属●
1984 住友金属□全日空横浜□JSL増チームのため降格なし
1985 住友金属■全日空横浜■松下電器□マツダ□自動昇降格2
1986/87 松下電器■日立製作所■住友金属□トヨタ自動車
1987/88 マツダ■トヨタ自動車■全日空横浜□松下電器□
1988/89 住友金属■三菱重工■東芝□日立製作所□
1989/90 フジタ工業■日立製作所■三菱重工業□トヨタ自動車□
1990/91 ヤンマーディーゼル■NKK■日立製作所□マツダ□
年度 JSL2部下位クラブ地域リーグ上位クラブ備考
2番1番1位2位3位4位以下
JSL2部下位 / 全社上位チーム入替
1972 永大産業□帝人松山□JSL増チームのため降格なし
1973 豊田自動織機●羽衣クラブ●住友金属○茨城日立○入替戦2
1974 住友金属○茨城日立●本田技研工業○ヤンマークラブ●
1975 電電近畿●大日日本電線●ヤンマークラブ○古河電工千葉○
1976 京都紫光クラブ○古河電工千葉●[注釈 5]日産自動車○大日日本電線●
JSL2部下位 / 地域CL上位チーム入替
1977 古河電工千葉●田辺製薬○ヤマハ発動機●東芝堀川町○入替戦2
1978 トヨタ自工○京都紫光●ヤマハ発動機○東邦チタニウム●
1979 帝人○住友金属○大協石油●[注釈 6]京都紫光クラブ●
1980 甲府クラブ○大協石油■名古屋クラブ□古河電工千葉●自動昇降格1・入替戦1
1981 甲府クラブ○名古屋クラブ■埼玉教員□日産自動車●
1982 埼玉教員○帝人■東邦チタニウム□西濃運輸●
1983 東邦チタニウム●埼玉教員■横浜トライスター□松下電器○
1984  西濃運輸□京都府警□TDK□大阪ガス□自動昇格4
JSL増枠のため降格なし
1985 コスモ大協□川崎製鉄□東邦チタニウム□NTT関西□
1986/87 TDK■京都府警■NTT関東□マツダオート広島□自動昇降格2
1987/88 西濃運輸■マツダオート広島■帝人□藤枝市役所□
1988/89 NTT関西■藤枝市役所■マツダオート広島□京都紫光クラブ□
1989/90 マツダオート広島■帝人■読売ジュニオール□大塚製薬□
1990/91 大阪ガス■新日本製鐵■東京ガス□中央防犯□
1991/92  大阪ガス□(辞退)[注釈 7]西濃運輸□[注釈 7] 自動昇格2
JSLから旧JFLへの改組のため降格なし
翌年全国クラブ所属
翌年地方クラブ所属
成績以外の理由による脱退・解散等

キャンペーン・ポスター

日本リーグ20周年を記念して、それまでの感謝と新時代の到来をアピールするために博報堂が制作した。以後、その年のサッカーを象徴するまたはサッカー界へのメッセージが込められたポスターが発表された。

  • 第20回(1984)「格闘技宣言。」(モデル:釜本邦茂)
  • 第21回(1985)「見せてくれ、蹴闘。」(モデル:明石家さんま
  • 第22回(1986/87)「サラリーマンサッカーの時代は終った。」(モデル:奥寺康彦=古河)
  • 第23回(1987/88)「ことしは、牛若サッカーです。」(モデル:武田修宏=読売)
  • 第24回(1988/89)「仏の顔も、二十三回までだ。」(モデル:釜本邦茂)
  • 第25回(1989/90)「クリーン&エキサイティング」(モデル:なし=試合写真)
  • 第26回(1990/91)「ペレストライカー」(モデル:デビッド・ロイド・オースチン、ミハエル・ゴルバチョフのそっくりさん)
  • 第27回(1991/92)「ガンバレ!!ペレストライカー」(モデル:アーチー・ケッセル、ジョージ・ブッシュのそっくりさん)

放送

主に日本教育テレビの「ビッグスポーツ」、東京12チャンネルの「サンデースポーツアワー」で、注目カードの中継を行っていた。

1974年には10試合だけフジテレビでも中継され、解説に杉山隆一、実況は岩佐徹が務めた。国立競技場での中継では来日していたペレがゲスト出演し、機嫌よく話してくれたものの、話があまりにも長く、とうとう、岩佐は恐れ多くもペレの話をBGMのように扱って実況した[27]

備考

  • 創設当初は、日本サッカー協会(JFA)のオフィス(岸記念体育会館内)の一画を事務局として間借りする形でスタートした。当時のJFAは大学サッカー部出身の幹部が多く、国内リーグに関しては「君たちだけで考えなさい」と丸投げされたような状態だったという[8]。後に千代田区小川町に単独の事務所を確保して独立を果たす。[21]。運営スタッフは専従の事務員や常任のスタッフはそれぞれ数名程度、ほかに各クラブから出される運営委員が社業のかたわらリーグの運営業務を行っていた[21]
  • 事務局のポストは、Jリーグのチェアマンに相当する役職としてJSL総務主事があった[21]。ただし全クラブの運営委員の代表といった程度で、JFAへの出向という形をとっていた者もいれば、社業の傍らに総務主事に就いた者もいた。またJSL1部とJSL2部で別の総務主事がいた。
  • 創設クラブの内、古河、三菱重工、日立の3クラブはいずれも東京丸の内に本社を構えていたことから「丸の内御三家」と呼ばれ、意思疎通がしやすいことで、リーグの運営や日本代表の強化方針に対して後々まで強い発言力を持つに至った[28]。上述のJSL1部の歴代総務主事はすべて御三家から選ばれている。
  • JSLを発足させたのは、日本のサッカー界では若手にあたる人材であった。[4]、JSL初年度のリーグ年鑑に掲載された西村章一、長沼健、岡野俊一郎、重松良典の座談会では、他のメンバーが、全国リーグ化を認めてくれた会社の手前言葉を濁す中[4]、重松ひとりはサッカーリーグのプロ化を積極的に提言。「東洋工業を母体にプロは出来ませんよ。これははっきりしている」「大きなスポンサーがついたセミプロ的なクラブができて、日本リーグを乗っとりゃ別だよ」などと先見の明のある発言を行った[4]。セミプロ・読売クラブがリーグ優勝を果たすのがこの17年後、東洋工業を母体とするサンフレッチェ広島が立ち上がるのがさらにその8年後となる[4]。ちなみに重松はこれより先に、プロ野球広島カープの球団代表になっている[9]
  • 70年代の低迷期においては、公式発表の観客数は実数の3倍に水増しするのが、メディア記者たちも含めて暗黙の了解となっており[29]、対戦カードによってはチーム関係者を除くと観客数10人のケースもあった[17]。JSLの事務所にはいつも無料招待券が無造作に積まれていたが、出入りの業者も含めて誰も持っていかない状態だったという[29]

JSL主催のその他の公式戦

脚注

参考文献

関連項目

Related Articles

Wikiwand AI