清信は、阿波徳島藩家臣大口清行の長男に生まれる[1]。母は山田権左衛門の妹[1]。幼名を大口長太郎といい、元服して大口茂右衛門清信と名乗った[1]。父の清行とともに徳島藩蜂須賀家に仕えた[1]。
寛文10年(1670年)11月6日、清行が病死すると、同11年(1671年)1月1日に家督を継ぐ[1]。阿波大口家の4代当主となって、蜂須賀家の城下に250石を領した[1]。蜂須賀家の小姓であったともいう[1]。清信は男子が生まれなかったため、娘を山田宗充の三男に嫁がせて養子に迎え入れた[1]。享保16年(1731年)8月10日、病死した。