大喬 From Wikipedia, the free encyclopedia 二喬(『古今百美図』) 大喬(だいきょう[1]、たいきょう[2][3]、Dà Qiáo、生年不詳 - 200年?)は、中国後漢末期の女性。父は橋公[注 1]。妹は小喬。孫策の妻妾。 『三国志』「呉志」周瑜伝に記述がある。 正史では「大橋」とされ、199年12月、妹と共に皖城を占領した孫策軍の捕虜となり、孫策の妻妾の一人に加えられた。裴注の『江表伝』には、孫策が小橋を娶った周瑜に「橋公のふたりの娘は故郷を失うことになったわけだが、われわれを婿どのにすることができたのだから満足だろうよ」と言ったという。しかしその後、4か月足らずで孫策が死亡、所生の子供の記録もない。孫策の妾にされた直後、袁術・劉勲の妻子らと共に呉郡へ送致された後の消息は一切不明である。 その他 野史『庸庵筆記』では、複数の魅力を併せ持つ女性の一人として名が挙がる。なお、夫の死後の数か月後に亡くなったと伝承される。 清の『百美新詠図伝』によると、中国歴朝で最も名高い美人百人に選ばれている[注 2]。 小説『三国志演義』においては、いわゆる「毛宗崗本」など一部の版本において姓を「喬」に改められ、「沈魚落雁閉月羞花」ほどの絶世の美女とされている。妻となった経緯は語られていない。孫策臨終の際、喬夫人の名前で登場し、遺命により姑である呉夫人を養う。赤壁の戦い時に諸葛亮が周瑜に対し、曹操が二喬を奪おうとしているとほのめかしたため、周瑜が激怒し開戦を決意させたように描かれている。 京劇『鳳凰二喬』では喬靚(きょうせい)という名で登場する。 脚注 [脚注の使い方] 注釈 ↑ その橋公が誰なのかは不明だが、橋蕤説・橋玄説・地元豪族説がある。小喬#二橋の父についてを参照。また小説『三国志演義』においては、父は喬国老と呼ばれていたが、その喬国老の本名には触れられない。 ↑ 小喬、甘皇后、孫夫人、潘夫人、蔡文姫、鄧夫人(孫和の寵姫)、薛夜来、莫瓊樹(魏の宮人)と共に三国時代の美人として挙げられている。 出典 ↑ 渡邉義浩 / 日本大百科全書(ニッポニカ)『「橋玄」の意味・わかりやすい解説』小学館、コトバンク。https://kotobank.jp/word/%E6%A9%8B%E7%8E%84-1524547。2026年1月3日閲覧。 ↑ デジタル大辞泉『「大喬小喬」の意味・読み・例文・類語』小学館、コトバンク。https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E5%96%AC%E5%B0%8F%E5%96%AC-556746。2026年1月3日閲覧。 ↑ 精選版 日本国語大辞典『「大喬小喬」の意味・読み・例文・類語』コトバンク。https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E5%96%AC%E5%B0%8F%E5%96%AC-556746。2026年1月3日閲覧。 関連項目 三国志演義 孫策 小喬 典拠管理データベース 全般VIAF国立図書館アメリカ韓国 Related Articles