大塚綱久 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 戦国時代生誕 不明死没 不明官位 掃部助 凡例大塚綱久時代 戦国時代生誕 不明死没 不明官位 掃部助主君 佐竹義舜、結城顕頼氏族 大塚氏子 吉久、為久テンプレートを表示 大塚 綱久(おおつか つなひさ)は、戦国時代の武将。佐竹氏、白河結城氏の家臣。常陸国羽黒山城代。 永正2年(1505年)、佐竹義舜に背いて結城顕頼に従い羽黒山城代となった。天文年間の始めの6月9日、佐竹義篤が渋江内膳を将として常陸境関渡に押し寄せ、綱久は斑目広基、河東田大膳らと共に防戦に努めたが、衆寡敵せず戦死し、関渡は佐竹氏の手に陥った[1]。 大塚氏は綱久のあと三代に渡って羽黒山城を治めていたが、永禄7年(1564年)、綱久の子・為久の代に佐竹氏に攻められ落城した。その後、為久[2]は天正6年(1578年)に陸奥石川氏の一族の浅川氏の浅川城を攻めた際に弓で射られ、討死した。 脚注 ↑ 『白河結城家とその家臣たち』 ↑ 兄の吉久とする史料もある。 Related Articles