大山盛一郎
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幼稚園頃から野球を始める[2]。那覇市立城北中学校時代は浦添ボーイズでプレー[3]。3年夏にジャイアンツカップに出場したが、初戦敗退を喫した[2]。
興南高等学校時代は2年秋より遊撃手のレギュラーを取り、九州大会に2番遊撃で全試合スタメン出場した。翌3年の夏は5番三塁出場するが、[要出典]大会中に肘のけがを発症し[4]、本大会では出場なく、[要出典]2回戦で木更津総合高等学校に敗戦した[5]。1学年下に宮城大弥、勝連大稀がいた[5]。
大学や社会人野球からの誘いがない中、アメリカへの野球留学の記事を雑誌で見つけ、高校卒業後の2019年春に渡米した。語学学校に通ってから[6]同年秋にマーセッド・コミュニティカレッジに進学し[4]、1シーズン目からレギュラーとしてチームに貢献し、3シーズン目に打率.409、8本塁打、25盗塁をマークした。[要出典]4シーズン目よりカリフォルニア大学アーバイン校に移り[4]、打率.319、7本塁打、44打点、14盗塁の好成績を残した。[要出典]夏にはケープコッドリーグに招待され二塁手の最優秀選手に選ばれた[4]。アメリカでの登録名は「Jo Oyama」[7][4]。英語が喋れないまま渡米し、積極的に外国人の輪へ飛び込んで体当たりで学び、話せるようになるまで2〜3年かかったという[6]。
MLBのドラフト指名を待っていたものの、NPBのドラフト指名に挑戦する方針に切り替え、2024年より日本野球機構のウエスタン・リーグに参加しているくふうハヤテベンチャーズ静岡に連絡を入れた[8]。8月7日、くふうハヤテへの入団が発表された。背番号は34[9]。同年は二軍戦33試合に出場し、打率.220、出塁率.344、0本塁打、5打点、3盗塁の成績を残した[10]。オフシーズン中はカリフォルニア州アーバイン市に戻り、母校・カリフォルニア大学アーバイン校の練習施設でトレーニングを行った[11]。引き続きくふうハヤテに所属していたが、2025年のウエスタン・リーグ開幕直後の3月18日に同日付の退団が発表された。同年は公式戦出場はなかった。退団は大山本人の希望によるもので、開幕前日、球団社長・池田省吾に再びアメリカでのプレーに挑戦したい旨を伝えていた[12][11]。
くふうハヤテ退団後はアメリカに渡り、アリゾナ州で北米独立リーグのトライアウトに参加。ビザの都合で、アメリカ国内のチームではなくフロンティアリーグ所属のカナダのチームへの入団を目指していたところ、オタワ・タイタンズへの入団が叶った[13]。12試合に出場し、打率.273、8打点、4盗塁の成績を残すと、6月、MLB球団のシアトル・マリナーズが大山との契約を購入したことが報じられた[14]。チーム合流に必要なビザがなかなか下りず、一度、マリナーズのアカデミーがあるドミニカ共和国に渡ってトレーニングを積んだ[13][15]。ドミニカ共和国に渡ってから約2週間経ってようやくビザを取得できたことで[15]、7月20日にマリナーズとマイナー契約を結び、23日、ルーキーリーグのACLマリナーズに配属された[16]。ルーキーリーグのシーズン終了直前での合流だったため、試合出場はわずか2試合で、その後は実戦形式の試合ができるブリッジリーグに参加した[15]。ブリッジリーグ終了後、アーバイン市に戻って過ごしていたところ、AA級のアーカンソー・トラベラーズで怪我人が出て内野手が足りなくなったことから[15]、9月13日、急遽同チームに配属された[16]。AA級もシーズン終了間際だったが、9番・二塁手での先発出場を果たしている[15]。
2026年4月1日、A級のインランド・エンパイア66ersに配属された[16]。
人物
詳細情報
背番号
- 34 (2024年8月7日 - 2025年3月17日)