大庭二郎
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現在の山口県青海島にて、長州藩士・大庭此面の長男として生れる[1]。陸軍幼年学校を経て、1886年(明治19年)6月、陸軍士官学校(旧8期)を卒業し、陸軍少尉任官[1][3]。1892年(明治25年)12月、陸軍大学校(8期)を優等で卒業した[1]。以後、参謀本部出仕、兵站総監部副官、参謀本部第1局員を経て、1895年(明治28年)から1900年(明治33年)までドイツに留学し、その後、陸大教官、参謀本部員兼山縣有朋元帥副官、大本営参謀などを歴任した[1]。
日露戦争では、第3軍参謀副長として出征し[1]、旅順攻囲戦に参戦した[2]。1905年(明治38年)1月、後備第2師団参謀長[1][3](朝鮮駐剳軍)となり、朝鮮北部の作戦に従事した[2]。その後、近衛歩兵第2連隊長、陸軍戸山学校長などを経て、1910年(明治43年)11月、陸軍少将に進級し、陸軍歩兵学校長、歩兵第11旅団長を歴任[1][2][3]。第一次世界大戦では観戦武官としてロシア軍に従軍した[2]。1915年(大正4年)2月、陸軍中将となり、第3師団長を拝命しシベリア出兵に従事[1][3]。さらに、軍事参議官、朝鮮軍司令官を歴任[1][3]。1920年(大正9年)12月28日、陸軍大将[2][3][4]となり、軍事参議官、教育総監を勤め、1926年(大正15年)3月に予備役に編入された[1][2][3]。