漢代、大方は牂牁郡の名前で呼ばれていた[3]。元来はミャオ族の居住地だったが、宋代になって中原の政府の統治下に置かれ、大万谷落総管府が設置された[1]。
元朝は、この地に順元宣慰司を設置。明代の大方には大方賊が跋扈しており、王三善が指揮する討伐隊が派遣された。1636年に大方は明に帰順し[4]、この地に城が築かれてミャオ族統治の拠点とされる[1]。
清の支配下に入った後、大方城は大定府に改称された。中華民国成立後は県が置かれ、1914年に貴州省貴西道に区画されるが道は廃止された。1958年に県名は大定から大方に戻される。