大水上神社
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位置
北緯34度8分53.2秒 東経133度45分18.7秒 / 北緯34.148111度 東経133.755194度座標: 北緯34度8分53.2秒 東経133度45分18.7秒 / 北緯34.148111度 東経133.755194度
主祭神
大水上大明神、保牟多別命、宗像大神
| 大水上神社 | |
|---|---|
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拝殿 | |
| 所在地 | 香川県三豊市高瀬町羽方2677番地2 |
| 位置 | 北緯34度8分53.2秒 東経133度45分18.7秒 / 北緯34.148111度 東経133.755194度座標: 北緯34度8分53.2秒 東経133度45分18.7秒 / 北緯34.148111度 東経133.755194度 |
| 主祭神 | 大水上大明神、保牟多別命、宗像大神 |
| 社格等 | 式内小社、讃岐国二宮、旧県社 |
| 創建 | 不詳 |
| 地図 | |
御朱印 授与所の開設は、土曜と日曜または日曜のみの午後1時半から4時頃までであるが、その月により変更があるので下記Facebookで事前に確認のこと。
7月上旬の大祓式・御神楽や、10月の和太鼓集団の野外ライブなど、イベント開催時には、和傘や竹灯りのライトアップが境内を彩る。
歴史
本殿裏の鰻淵脇と千五百皇子社の背後にある二カ所の磐座(いわくら)の祭祀から始まり、創建は弥生時代とも古墳時代とも云われ、延喜式神名帳に讃岐国二の宮と記載されている。古来より干ばつの時に雨乞い神事が行われた。
中世には、領主の近藤正光が八幡神を勧請し、大水上大明神とともに八幡大神・三島竜神を祀って「二宮三社」と称するようになり、別当清澄寺と別当神宮寺を有する神仏混淆の神社となり近藤家の庇護のもと繁栄した。また、空海(弘法大師)が唐に渡るとき当社に訪れ詣法を行い三神と問答和歌を詠んだ。 空海「はるばると詣きゑれば三の神力をそへてまもりたまへや五月雨ややまゑ思ひに旅の空いとま恋しくまいる我なり」、返歌は八幡大神「我はたゝいまも弓前の神としれ もろこしまても守護じめくまん」、大水上大明神上之句「往来は心やすかれそらの海」三嶋竜神下之句 「水上清きわれハ竜神」[1]
元暦元年(1184年)源平合戦の際に、源氏と平氏がそれぞれ願文を奉納する。
応永34年(1427年)当社が破損したときに、天皇より造営費の負担を受ける。
戦国時代に長曾我部軍勢に焼かれたと云われ、現在の建物は永禄年間の再建したのを、明治以降改築したものである。
祭神
境内

- 御旅所:県道脇の駐車場の上段。ネズの木、立太子式記念の石壇、瓦細工(秋の例大祭の御神輿渡行列を表す)
- 一の鳥居:県道脇にある。
- 睡僊橋
- 二の鳥居:これより鬱蒼な神域に入る
- 禊場
- 注連石:当社の注連縄は拝殿のも真直ぐである。
- 随身門
- 三の鳥居
- 時雨燈籠:県指定文化財
- 本社拝殿・本殿
- 絵馬堂、矢場、社務所
- 鰻淵(竜王淵):雨乞神事遺蹟。黒と白のウナギがいるといわれ、雨乞いの際、黒いウナギが現れると雨、白いウナギが現れると日照り、カニがあらわれると大風になると伝えられている[2]。
- 磐座(いわくら)・夫婦岩:大水上祭祀遺跡の中心となる古代の御神体。二段になった岩の下の岩の上に石の祠がある。
- 大水上渓流谷:財田川の支流の宮川の渓谷沿いで昼でも鬱蒼と暗い地。
- 句碑・歌碑:水原秋桜子「茶どころと聞かねど新茶たぐいなし」、山口誓子「新茶佳し大水上の霧こめて」。大師参拝の神言「往来は心安かれ空の海 水上清きわれは竜神」二宮記録より。
- 二の鳥居
- 随身門
- 結びの水占い
- 鰻淵
- 磐座(夫婦岩)
- 大師参拝の神言
- 御旅所にある瓦細工


