大浦城 From Wikipedia, the free encyclopedia 城郭構造 平城天守構造 なし築城主 大浦光信築城年 1502年(文亀2年)logo大浦城(青森県) 大浦城址の碑城郭構造 平城天守構造 なし築城主 大浦光信築城年 1502年(文亀2年)主な城主 大浦盛信廃城年 1615年(元和元年)遺構 曲輪、土塁指定文化財 なし再建造物 なし位置 北緯40度37分06.8秒 東経140度24分47.9秒 / 北緯40.618556度 東経140.413306度 / 40.618556; 140.413306地図 大浦城 テンプレートを表示 大浦城(おおうらじょう)は、青森県弘前市賀田・五代にあった日本の城(平山城)。 別名:八幡城[1]・大浦賀田城[2]・西根の城[3]。 大浦光信が津軽進出の拠点として古館を改修、子の大浦盛信を置いたのが始まりで、その後、元和の一国一城令により廃城となった。現在は、弘前市立津軽中学校の敷地などになっている。城の規模は、東西500メートル、南北250メートルほど。 弘前市は2024年(令和6年)11月に大浦城跡の一部1万4千平方メートルの寄贈を受けており、これらの土地についても発掘調査を進める方針である[4]。 歴史 文亀2年(1502年)、大浦光信により築かれる。大浦光信の子孫、大浦為則の婿養子である大浦為信の代になり、堀越城に本拠地が移ると、城番が置かれるだけになった。その後元和の一国一城令により廃城となったが、二の丸・本丸・西の丸の土塁は残された。弘前城の詰城としてその後も、西の丸には火薬庫(賀田塩硝御蔵)などが建てられた。 移築された建造物 大手門が弘前城三の郭北門(賀田門)として移築された[5]。しかし現存していない。 台所は津軽氏の菩提寺である長勝寺の庫裡として移築、現存している(但し、柱の太さや風蝕の度合い・痕跡の調査などから、古い柱材を使用しながらこの場所で新たに建築されたものとみることができるとされている)[6]。 キャラクター 弘前城で行われた天守の曳家工事を契機として、2016年(平成28年)に弘前市が地域おこしキャラクターのロボット「超城合体タメノブーンV」を制作。タメノブーンVを構成する5機の城ロボのうち、大浦城は「オウラー」にあたる[7][8]。 脚注 ↑ 慶安2年「津軽領分大道小道磯辺路并船路之帳」 ↑ 「新撰陸奥国誌」 ↑ 「奥羽永慶軍記」 ↑ “大浦城跡の一部 弘前市に寄贈”. 東奥日報. 2024年11月26日閲覧。 ↑ 今泉洋. “北門が追(大)手門であった”. 弘前城築城400年祭記念事業 古文書で見る「弘前城あれこれ」. 弘前市. 2024年11月26日閲覧。 ↑ 青森県庁ウェブサイト 教育委員会 文化財保護課 ↑ 弘前城合体ロボ「超城合体タメノブーンV」登場 株式会社ジェイクリエイト『観光Re:デザイン』 ↑ 超城合体タメノブーンV弘前市公式サイト 関連項目 大浦氏 津軽氏 Related Articles