大猫
日本各地の何箇所かに伝わる巨大な猫の怪異
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江戸西郊の大猫

江戸の笄町近辺にあたる地にあった江戸下屋敷に、ご隠居付きの盲目の鍼医がいたが、治療の帰りに消息を絶った。多くの人々が鍼医を捜したものの、行方は杳として知れなかった。しかし幾日かのち、鍼医は畑の肥壺で発見され、介抱の末に正気を取り戻した。これを聞いた下屋敷の人々は、狐(妖狐)に化かされたのに違いないと考え、狐退治に乗り出した。あちこちから集められた狐釣[* 1]の名人達が狐を捕らえようと夜ごと挑んだ結果、5匹目にしてようやく、名人で百姓の一人がそやつを捕らえた。ところが、捕らえてみたらばそやつは狐などではなく全身斑まだら模様の猫であった。猫は猫でも、立丈 壱尺三寸(立った姿勢の時の体高 約39.4cm[* 2])・横 三尺二寸(自然な姿勢の時の長さ〈※全長か頭胴長かは不明〉約97.0cm[* 3])という見たことも聞いたこともない大猫で、尾が二股に割れていたという。[1]
袖ヶ崎の大猫
袖ヶ崎の大猫(そでがさきのおおねこ)は、江戸における仙台伊達家(伊達氏宗家)知行地の一つである大崎袖ヶ崎 (武蔵国荏原郡上大崎村袖ヶ崎。現在の東京都品川区東五反田3丁目[2]) に新設された下屋敷(大崎袖ヶ崎屋敷)にて、悪さを繰り返して討たれたという大猫の怪異譚である。
只野真葛が文化8年(1811年)に刊行した回想記『むかしばなし』の巻1に掲載されている。只野真葛の祖父・丈庵(工藤安世)が獅山公(陸奥仙台藩第5代藩主・伊達氏宗家第21代当主・伊達吉村)の隠居屋敷(仙台藩下屋敷の一つとして隠居後の吉村のために新設された、大崎袖ヶ崎屋敷のこと)に勤めていた時の話という。怪しげな出来事があったのは下屋敷の落成後間もない頃ということである。
- 怪異譚
大崎袖ヶ崎屋敷では、昼夜の別なく長屋にどこからともなく拳大の石が投げ込まれる、宿直の侍が枕返しをされる、灯火が突如として消える、蚊帳の吊り手が一斉に切れて落ちるなどといった、怪しげな出来事が相次いでいた。そのような最中のある日のこと、犬ほどもある大きな猫が長屋門の軒下あたりで眠っているのを見て近侍の者が鉄砲で撃ち殺したところ、それよりのち、妖しい出来事は起きなくなったという。[3][4]
紀州熊野の大猫
紀州熊野の大猫(きしゅうくまののおおねこ)は、江戸時代半ばの寛延2年(1749年)に刊行された説話集『新著聞集』に収められている、江戸時代初期の大猫怪異譚である。
- 怪異譚
徳川の世の初め頃、紀伊国牟婁郡熊野(紀伊国の南部地域で、上古における熊野国域。現在の和歌山県熊野市を含む広範地域[* 4])の山の中、山陰になるとある洞窟に、トラと見まごうほどの大きな獣がいたという。そやつは山里にも下りてきてキツネや犬を捕えて食らうのであるが、時には人が追いかけられることまであった。そのような時は里人(山里の地元民)が鉄砲(※火縄銃)で撃つものの、素早く逃げおうせてしまうという。捕らえたのは貞享2年5月(西暦換算:1685年6月頃[* 5])のこと、ある者の仕掛けた罠にその獣が掛かったのであった。そうして獣の正体を確かめてみたところ、猪ほどにもなる大きな猫であった。[5]
土岐山城守の大猫
土岐山城守の大猫(ときやましろのかみのおおねこ)は、新場老漁(大田南畝)の随筆『半日閑話』の巻16に収められている大猫怪異譚である。