大西康雄
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来歴
昭和期
昭和22年(1947年)、兵庫県加西市に出生。高校中退後に18歳で三代目山口組系竹中組幹部の若衆となり、竹中組本部で4年半の部屋住み修業を行った。昭和45年(1970年)、自身の親分が竹中組から破門されたのを機に、竹中組・竹中正久組長から盃をもらい、竹中組若中となった。昭和47年(1972年)、竹中組若頭補佐に就任。
昭和55年(1980年)3月上旬と中旬、竹中は、矢嶋長次、長谷一雄、稲川会・林喜一郎副会長、忠政会・大森忠明会長、松正会・山本真喜夫会長らを招待して、大西康雄宅などで、2回に渡ってサイ本引き賭博を開いた。両日で賭け金3、4億円が動いた。
→詳細は「山一抗争」を参照
昭和60年(1985年)1月26日、竹中は、大阪府吹田市のマンション「GSハイム第二江坂」の1階エレベーター前で、二代目山広組若頭・後藤栄治に指揮された二代目山広組組員・田辺豊記、同組組員・長尾直美、同組組員・立花和夫に銃撃された。
同年1月27日午後11時25分、竹中が死去。同年12月、大西は竹中組(組長・竹中武)の若頭に就任した。
平成期
平成元年(1989年)、渡辺芳則の五代目山口組組長就任が決定した。
同年6月5日、山口組定例会で竹中組の山口組脱退が発表された。
その後、大西は竹中組から脱退した。五代目山口組 後藤組・後藤忠政組長が、後藤組副組長に据えた。兵庫県姫路市を本拠にした。