大谷藤子
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前列左から、小山いと子、森田たま、林芙美子の母、美川きよ、川上喜久子、円地文子、大田洋子。
後列左から、宇野千代、大谷藤子、三宅艶子、城夏子、壺井栄、平林たい子、由起しげ子、村岡花子、横山美智子、佐多稲子、芝木好子、板垣直子、大原富枝、阿部光子、峯雪栄、森三千代。
埼玉県秩父郡両神村(現小鹿野町)に生まれる[2]。三田高等女学校を卒業したのち、東洋大学聴講生となるが、結婚のため一年でやめている。1927年海軍大尉・井上良雄と結婚、広島県呉市に住む。1932年に離婚。
1933年高見順、円地文子らと『日暦』を創刊[2]。1934年『改造』の懸賞小説に「半生」が当選[2](女性初)。翌35年発表の『須崎屋』とともに出世作となる。『山村の女達』(1939)、『谷間の店』(1946)など出身地秩父を題材にしたものが多い[2]。短編を得意としたが、『青い果実』(1959)、『断崖』(1960)などの長編もある。
矢田津世子とは、お互い無名時代から家族ぐるみでの深い付き合いであった。のちに『日暦』に矢田を推薦し同人にしたのも彼女の尽力であった。
1952年「釣瓶(つるべ)の音」で第5回女流文学者賞、1970年「再会」で第9回女流文学賞。
1977年11月1日、心不全のため東京共済病院で死去[3]、享年75。戒名は「文藝院故郷妙藤大姉」、生家近くの墓所に眠る。