大貫思水
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1911年(明治44年)11月29日に栃木県で生まれ、1931年(昭和6年)に東京府青山師範学校を卒業後に小学校教師となる[1][2][3]。1953年(昭和28年)に文部省筆順委員会の委員となり、同年に大貫良一名義で『書き方指導の実際』を牧書店から出版し[1]、世田谷区立松原小学校在籍時に山岸徳平、森下巌とともに小中学生向けの『学習漢字辞典』を編纂し、筆順を担当する[4]。
1957年(昭和32年)に思友書道会(1959年(昭和34年に「日本書学館」に改称)を設立し、書家として活動する[1][3][5]。1975年(昭和50年)にソウルで「日・中・韓三国書作展」、1979年(昭和54年)にニューヨークで「思水近作展」を開催するなど、日本国外でも活動する[3]。書家として指導した中には、国際的な展示会での受賞歴がある杉原晋水や日本書法院創立者の川邊尚風がいる[6][7]。
1986年(昭和61年)12月14日に75歳で亡くなる[8]。没後、子で文化人類学者の大貫良夫が日本書学館の代表を引き継ぐ[9]。
著書
出典
- 1 2 3 『書写・書道教育史資料 第3巻』東京法令出版、1984年、449,555頁。doi:10.11501/12159418。
- ↑ 『年鑑現代日本の書 3('80/79) /〔本編〕』書道新聞社、1981年、410頁。doi:10.11501/13087188。
- 1 2 3 宮本渓風、初山祥雲 編『思水の書 書を学び、書を教える方のために』知道出版、1996年、153頁。ISBN 978-4-8866-4054-3。
- ↑ 『学習漢字辞典』紀元社出版、1957年、1頁。doi:10.11501/2439787。
- ↑ “日本書学館とは”. 日本書学館. 2025年10月24日閲覧。
- ↑ 『日本美術家事典 1993年度』オーアンドエム、1993年、661頁。doi:10.11501/13239195。
- ↑ “日本書法院の概要・アクセス”. 日本書法院. 2025年10月28日閲覧。
- ↑ 『ジャパンwho was who : 物故者事典 1983~1987』日外アソシエーツ、1988年、122頁。doi:10.11501/13235997。
- ↑ 「生老病死の旅路 大貫良夫さん アンデスの遺跡 発見の連続」『読売新聞』2016年4月23日、夕刊9面。
- ↑ 大貫良一 著「入門期の書写指導」、石井庄司 編『実践講座国語教育 第8 (書写指導)』牧書店、1960年、135-141頁。doi:10.11501/9541831。
- ↑ 国語学会国語学辞典編集委員会 編『国語学辞典』東京堂、1955年、514-515頁。doi:10.11501/2474994。
- ↑ 『優良児童図書総合目録 第28号(1980年版).小学校用』日本児童図書出版協会、1980年、214頁。doi:10.11501/12236938。
- ↑ 「参考資料 図書一覧」『書写・書道教育史資料 第3巻』東京法令出版、1984年、445-481頁。doi:10.11501/12159418。