大阪市立勝山小学校
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| 大阪市立勝山小学校 | |
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北緯34度39分14秒 東経135度31分41秒 / 北緯34.653972度 東経135.527917度座標: 北緯34度39分14秒 東経135度31分41秒 / 北緯34.653972度 東経135.527917度 | |
| 過去の名称 |
大阪市鶴橋第五尋常高等小学校 大阪市勝山国民学校 |
| 国公私立の別 | 公立学校 |
| 設置者 | 大阪市 |
| 設立年月日 | 1928年1月13日 |
| 閉校年月日 | 2026年3月31日 |
| 共学・別学 | 男女共学 |
| 学期 | 3学期制 |
| 学校コード | B127210001516 |
| 所在地 |
〒544-0021 大阪市生野区勝山南1丁目3番5号 |
| 外部リンク | 公式ウェブサイト |
年表
地域での児童数増加に伴い、従来の大阪市鶴橋第一尋常小学校(現在の大阪市立鶴橋小学校)および大阪市生野尋常小学校(現在の大阪市立生野小学校)の2校の校区の一部を分離再編し、1928年に大阪市鶴橋第五尋常小学校として開校した。
2年後の1930年には校区の変更を実施し、従来の大阪市生野尋常小学校校区の一部を編入している。
1941年には国民学校令により、大阪市勝山国民学校に改称した。大阪市では1944年以降、国民学校児童の学童疎開を実施することになった。疎開先は各行政区ごとに指定され、生野区の国民学校には奈良県が疎開先として割り当てられた。勝山校の児童は奈良県吉野郡龍門村・中龍門村・国樔村(いずれも現在の吉野町)への集団疎開を実施した。
1945年3月13日から翌3月14日未明にかけての大阪大空襲の影響で、空襲で校舎を焼失した天王寺商業学校(のち大阪市立天王寺商業高等学校)が一時勝山国民学校内に仮校舎を設置した。
1947年には学制改革により、大阪市立勝山小学校に改称している。
地域の児童数減少により、学校再編整備の対象校となった。地域との調整を経て、大阪市立東桃谷小学校と統合する形で2026年3月末日付で閉校し、2026年度より従来の東桃谷小学校の校地に新設される大阪市立東勝山小学校に再編される[1][2][3]。また学校再編に伴い、従来の勝山小学校の校区の一部(生野区生野西1・2丁目および4丁目の一部)を、2026年度より義務教育学校生野未来学園校区に編入する。
通学区域
- 大阪市生野区 桃谷1丁目(一部)、勝山北1丁目、勝山南1丁目、生野西1-2丁目、生野西4丁目(一部)。
- 卒業生は大阪市立桃谷中学校に進学する。
