大阪鎮台
From Wikipedia, the free encyclopedia
大阪鎮台は、1871年に鎮台の数を2から4に増やしたとき、東京鎮台とともに新設された[1]。大阪鎮台の管轄地は、現在の三重県の大部分を除く近畿地方、現在の新潟県を除く北陸地方。鳥取県と岡山県東部以東の中国地方、そして四国地方である。分営を2つおき、第1分営が北陸地方、第2分営が四国地方を管轄した。
第1分営の本営は小浜に置く予定だったが、用地の都合がつかず、12月に彦根に仮設置することにした[2]。第2分営は高松にあり、翌1872年(明治5年)4月12日に2個小隊を松山城に分派駐屯させた[3]。
発足当初は徴兵制がなかったので、鎮台の兵士は旧藩兵から採用された。翌1872年(明治5年)3月に大坂鎮西東北鎮台条例が制定され、鎮台の任務と権限が規定された[4]。
1873年の6鎮台制
1873年、明治6年7月19日に鎮台条例が制定され、鎮台の数は6つに増えた[5]。鎮台の管轄地は軍管と呼ぶことになり、大阪鎮台の管地は第4軍管となった。このとき東隣に名古屋鎮台が新設され、大阪鎮台から北陸地方を譲った。また西隣に広島鎮台ができたため、四国地方を譲った。第4軍管は、近畿地方の大部分と中国地方東部を占め、これも新しくできた3つの師管に分けられた。第8師管は大阪、第9師管は大津、第10師管は姫路を本営とした。3つの師管を擁するのは大阪の第4軍管と東京鎮台の第1軍管だけで、他は2つであった。師管には同じ番号を持つ歩兵連隊1個が対応したので、大阪鎮台は3個歩兵連隊を持つことになった。師管内には複数の分営を配置した。
以上は軍備計画であって、制定時に発足できた歩兵連隊はなかった。大阪鎮台の3個歩兵連隊は、いずれも翌1874年(明治7年)12月に編成された。かつ発足時の屯営は第9連隊が大津でなく京都、第10連隊が姫路でなく岡山となった[6]。
また、1873年は徴兵令が発布された年であり、第4軍管では1874年度から徴兵事務を開始した。旧藩兵の兵士(壮兵)と徴集された兵士はしばらくの間一緒に勤務した[7]。