第1軍管 From Wikipedia, the free encyclopedia 第1軍管(だいいちぐんかん)は、1873年から1888年まであった日本陸軍の管区で、全国に7つあった軍管の一つである。東京鎮台が管轄した。関東地方一円と現在の山梨県、時期により新潟県、長野県をも範囲とした。 軍管以前の東京鎮台の管轄地 1875年の第1軍管。数字は師管の番号。 1885年から1888年の第1軍管。赤が第1師管、オレンジが第2師管。 陸軍の管轄地が法定されたのは、明治4年8月(1871年9月から10月)である[1]。全国4つの鎮台に管地が割り当てられ、東京鎮台は関東地方と北陸を除く中部地方にまたがった。当時の府県は改廃の頻度が高く、境界は国(令制国)で示された。 東京鎮台 鎮台の直管 第1分営(新潟)の管 越後、羽前、越中、佐渡 第2分営(上田)の管 信濃 第3分営(名古屋)の管 尾張、伊勢、伊賀、志摩、遠江、三河、美濃、飛騨 第1軍管の設置 1873年7月19日、明治6年太政官布告第255号によって鎮台条例が改正され、鎮台が管轄する地域を軍管と呼ぶことになった[2]。条例に管轄地域は記されていない。新たに名古屋鎮台が設けられたため、第1軍管は中部地方の西部をこれに譲った。第1軍管の北の隣は仙台鎮台の第2軍管、西の隣が名古屋鎮台の第3軍管であった。 第1軍管 第1師管(東京師管)。1875年の管轄地は東京府、神奈川県、足柄県、静岡県、山梨県、埼玉県、熊谷県のうち武蔵国。 第2師管(佐倉師管)。1875年の管轄地は千葉県、新治県、茨城県、栃木県のうち下野国。 第3師管(新潟師管)。1875年の管轄地は新潟県、相川県、長野県、熊谷県のうち上野国、栃木県のうち上野国。 1885年の改正 1885年5月18日、明治18年太政官達第21号によって鎮台条例がふたたび全面改正され、軍管の区割りも変更になった[3]。第1軍管は師管の数を2つに減らし、現在の新潟県を譲った。東京を含む西半分が第1師管、東半分が第2師管である。 第1軍管 第1師管 武蔵国の大部分、相模、甲斐、伊豆、上野、信濃の9郡(東筑摩郡・西筑摩郡・上伊那郡・下伊那郡・南安曇郡・北安曇郡・諏訪郡の7郡を除いた東部) 第2師管 武蔵国の東部(本所区・深川区・南葛飾郡・北葛飾郡・南埼玉郡・北埼玉郡)、相模国・甲斐国・伊豆国・上野国・信濃国 1888年に廃止 1888年5月14日、明治21年勅令第27号(5月12日制定、14日公布)に師団司令部条例が制定されて鎮台は廃止になり、かわりに師団が常設されることになった[4]。あわせて陸軍管区表が制定され、それまでの軍管は師管と改称し、常設の師団の管轄地になった[5]。第1軍管の管轄地は、第1師管に引き継がれた。範囲はほぼ同じで、変更点は、以前は半分だけが属した信濃国(長野県)の全域が第1師管になったことである。 脚注 [1]『太政類典』第2編第205巻(兵制4・武官職制4)、「鎮台ヲ諸道ニ置キ管所ヲ定ム」。 [2]『太政類典』第2編第205巻(兵制4・武官職制4)「鎮台条例改定」。 [3]『公文類]』第9編第6巻(兵制門・兵制総・陸海軍管制・庁衙及兵営城堡附・兵器馬匹及艦舩・徴兵)、「鎮台条例ヲ改正ス」の七軍管疆域表、リンク先の8コマめ。太政官文書局『官報』第561号(明治18年5月18日発行)。 [4]『官報』 第1459号(明治21年5月14日)。リンク先の4コマめ。 [5]『官報』 第1459号(明治21年5月14日)、陸軍管区制定の件。リンク先の7 - 9コマめ。 参考文献 『太政類典』。国立公文書館デジタルアーカイブを2019年1月閲覧。 『公文類聚』。国立公文書館デジタルアーカイブを2019年1月閲覧。 『官報』。国立国会図書館デジタルコレクションを2019年1月閲覧。 Related Articles