国軍機務司令部

韓国軍の防諜部隊、特務機関 From Wikipedia, the free encyclopedia

国軍機務司令部(こくぐんきむしれいぶ、: 국군기무사령부: Defense Security Command)は大韓民国国軍にて防諜を担当していた特務機関および犯罪捜査機関である。

設立年月日 1948年5月27日
継承前組織
  • 国軍保安司令部
解散年月日 2018年9月1日
管轄 国防部
概要 国軍機務司令部, 組織の概要 ...
国軍機務司令部
국군기무사령부
組織の概要
設立年月日 1948年5月27日
継承前組織
  • 国軍保安司令部
解散年月日 2018年9月1日
管轄 国防部
本部所在地 京畿道果川市
標語 忠誠、栄誉、団結
監督大臣
  • 国防部長官
行政官
上位組織 国防部
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後述する度重なる不祥事から2018年9月1日文在寅大統領の命令により解体され、後継組織として新たに軍事安保支援司令部が編成された。軍事安保支援司令部は2022年に国軍防諜司令部朝鮮語版に改称の上拡大されたが、2024年12月3日非常戒厳宣布に関与したとされたことから、2026年1月に主要機能を新設機関に移管の上で解体することが勧告された。

概要

1948年5月27日南朝鮮国防警備隊情報局内に設置された特別調査課を母体とし、1948年に大韓民国が建国時設置された陸軍本部情報局特別調査隊がその前身であり、朝鮮戦争勃発後の1950年には情報局から正式的に独立し、スパイなど敵浸透勢力の摘発任務を特化する陸軍本部直属の特務部隊특무부대)として創設されたことがその最初の出発であった。しかし、権威主義的な李承晩政権下にて反共と防諜を名目で政敵粛清活動が横行し、特務部隊もその政治的道具として利用されていた。よってその越権と専横ぶりが度々問題となり、四月革命後の1960年防諜部隊방첩부대)に改編された[1]

なお、朴正煕による軍事クーデター後の1961年6月10日、防諜部隊や諜報部隊(旧情報局)からの人員で中央情報部が設置されている。

1968年朴正煕政権下にて陸軍保安司令部육군보안사령부)に昇格された。保安司令部は本来ならば主に軍内部の犯罪捜査や防諜・対反乱または軍需産業および機密情報のセキュリティ管理などを任務としていた[2]が、朴政権統治下では特にその機能を強化し、将校への政治傾向や忠誠心に関する調査および不穏分子の監視排除などのような公にできない業務も行われ、またそのような広範囲な行動を特権的に保障されており、実質軍内における朴大統領直属の親衛隊のような存在になっていたとも言える。よって、その時期の保安司令官は大統領から絶対的な信頼を得られなければ任命されぬ役であり、その権限も絶大である。

1977年さらに海軍空軍の防諜部隊である特別捜査隊특별수사대)も陸軍保安司令部に統合され、国軍保安司令部국군보안사령부)という全軍随一の特務機関として拡張された(形式上は国防部傘下の部局ではあるが、保安司令官は大統領に直接報告できる権限を持ち、大統領から直々に指示を受けることもしばしばである。そのため、国軍保安司令部は中央情報部および大統領警護室と並んで朴政権の3大中枢機関であるとも言われている)。1979年10月に朴正煕大統領が暗殺されると、当時保安司令官だった全斗煥陸軍少将ら新軍部勢力は保安司令部の情報統制力と捜査権限を上手く用いて同年12月に粛軍クーデターを起こし、軍の実権を掌握した[2]。翌1980年5・17非常戒厳令拡大措置を実施し、軍政への移行を進めた[2]。そのため保安司令部は全斗煥政権を作った功臣と言われた。

以後、国軍保安司令部は第五共和国時代を通じて政権の中心勢力であり続け、反政権の動きや民主化勢力の弾圧にも携わったが、1987年の民主化以降、徐々にそれらへの批判が強まりつつあった。その最中の1990年、保安司令部に勤務していたユン・ソギャン二等兵によって、1989年から「清明計画朝鮮語版」という政権側の親衛クーデターに備えた各界の主要人物査察計画を行っていたことが暴露された(国軍保安司令部民間人査察事件朝鮮語版[3]。これを受け盧泰愚大統領は司令官の趙南豊朝鮮語版を更迭、翌1991年国軍機務司令部へ改称し、民間人の調査中断を約束した[4]

機務司令部は陸軍保安司令部時代からソウル鍾路区にある景福宮の近くにあったが、2008年京畿道果川市に移転し、跡地には国立現代美術館ソウル館が開館した。

2014年に発生したセウォル号沈没事故で世論の鎮静化のために遺族などを監視していたことが発覚したことや[5]2016年朴槿恵大統領の弾劾が行われた際に、弾劾阻止のため戒厳令布告を準備したことが発覚した[6]。具体的には朴槿恵大統領の退陣を求める集会に戦車を投入する計画や、インターネットでの世論工作[7]、さらに反政府的活動をした議員の逮捕や、報道機関に検閲団を送り込み報道内容を検閲する計画の資料も公開され、批判を浴びた[8]。このような不祥事が続いたため2018年9月1日に文在寅大統領は国軍機務司令部を解体し、新たに軍事安保支援司令部を発足させた[9]

軍事安保支援司令部から国軍防諜司令部への改組、解体へ

軍事安保支援司令部はそれまでの国軍機務司令部と比較し規模を縮小した上で捜査権を縮小したもので、政治介入と民間監視を禁止する大幅な改革が実施され、人員も一旦元部隊に戻した上で不正行為に関与しなかった人員で再構成されたものである[10]。その後、2021年尹錫悦大統領の就任後、防諜機能低下を理由に2022年に組織の拡大を実施した上で国軍防諜司令部に改称された[10]。しかし、2024年12月3日非常戒厳宣布において、政治家などの拘束リスト作成や所在追跡に深く関与していた事実が発覚したことから、再度組織の存続を問う声が高まった[10]。軍の内外からは国軍防諜司令部を解体して機能を分散させ、権限の牽制と均衡を実現するべきという指摘もされている[11]

結局、2025年に国軍防諜司令部を含む情報機関の縮小・再編を選挙公約の一つとして掲げた李在明が大統領選挙に勝利して就任したことでこの動きは具体化し[10]、2026年1月8日、国防部の民官軍合同特別諮問委員会の防諜・保安再設計分科委員会は安圭伯国防部長官に対し、国軍防諜司令部の発展的解体を伴う再編案を勧告した[10][11][12]。再編案では、具体的にはこれまで国軍防諜司令部が担ってきた機能について、

  • 防諜業務機能は国防安保情報院(仮称)を新設の上移管[10][11][12]
  • 安保監査機能は中央保安監査団(仮称)を新設の上移管[10][11][12]
  • 安保捜査機能は国防部内の軍事警察組織の一つである国防部調査本部に移管[10][11][12]
  • 防諜司令部の権限を過度に肥大化させた主因と指摘されてきた世評(人事関連諜報)や動向調査機能は廃止[10][11][12]

とされている。また、機能を移管された3組織を連携する組織として「安保捜査協議体」を設け、これを指揮統制する役職として国防部内に局長級ポストである情報保安政策官を設置する他、国会への定期報告や、民間専門家による「遵法監察委員会」による監視制度も導入するとしている[10]。一方で東亜日報は再編案を報じる記事内で、これまで国軍防諜司令部が担ってきた安保捜査と情報収集任務が分割されることで、軍内部のスパイ捜査に支障が生じかねないとの懸念があることを報じている[12]

不祥事

  • 2012年には機務司令部幹部の未成年者性売買、横領、脱営、飲酒運転事故などの違法事実を隠蔽していたことが分かった[13]
  • 李明博政権下で大統領秘書官と共謀し、コメント書き込み活動などオンライン上の政治関与活動を行ったことや、2014年に発生したセウォル号沈没事故遺族の個人情報や政治性向を査察し、第6回全国同時地方選挙で与党セヌリ党勝利ための世論操作を行ったことや、予備役将校にTHAAD配備賛成・朴槿恵弾劾反対といった世論造成活動をさせたことから元参謀長らが在宅起訴された[14]

歴代指揮官

機務司令部第43代司令官李錫九中将。
機務司令部第42代司令官趙顕千中将。
機務司令部第39代司令官裴得植中将。

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さらに見る 代, 氏名 ...
氏名 階級 着任 退任 備考
特務部隊長
初代金炯一大領1950年10月20日1950年12月15日
第2代白仁燁准将1950年12月15日1951年1月13日
第3代李翰林准将1951年1月13日1951年4月6日
第4代金宗勉朝鮮語版准将1951年4月19日1951年5月15日
第5代金昌龍少将1951年5月15日1956年1月30日
第6代鄭麟澤(정인택准将1956年1月30日1957年9月25日
第7代金在鉉准将1957年9月25日1959年10月10日
第8代河甲清准将1959年10月10日1960年5月1日
第9代李召東准将1960年5月1日1960年6月1日
陸軍防諜部隊長
第10代朴昌錄朝鮮語版准将1960年6月1日1961年4月1日
第11代李哲熙准将1961年4月1日1961年6月10日
第12代金在春朝鮮語版准将1961年6月10日1962年7月12日
第13代鄭昇和准将1962年7月12日1964年1月8日
第14代朴榮錫朝鮮語版准将1964年1月8日1965年3月6日
第15代尹必鏞朝鮮語版少将1965年3月6日1968年2月17日
陸軍保安司令官
第16代金載圭中将1968年2月17日1971年9月23日
第17代姜昌成朝鮮語版少将1971年9月23日1973年8月14日
第18代金鍾煥朝鮮語版中将1973年8月14日1975年2月26日
国軍保安司令官
第19代陳鍾埰中将1975年2月28日1979年3月5日
第20代全斗煥大将[15]1979年3月5日1980年8月21日
第21代盧泰愚大将[16]1980年8月21日1981年7月14日
第22代朴俊炳朝鮮語版大将1981年7月14日1984年7月6日
第23代安弼濬朝鮮語版大将1984年7月6日1985年6月1日
第24代李鍾九朝鮮語版大将1985年6月1日1986年7月4日
第25代高明昇朝鮮語版大将1986年7月4日1987年12月29日
第26代崔坪旭朝鮮語版大将1987年12月29日1988年12月7日
第27代趙南豊朝鮮語版大将1988年12月7日1990年10月10日
国軍機務司令官
第28代具昌會朝鮮語版大将1990年10月10日1991年12月4日
第29代徐完秀朝鮮語版中将1991年12月4日1993年3月8日
第30代金度閏朝鮮語版少将1993年3月8日1993年10月22日
第31代林載文朝鮮語版中将1993年10月22日1998年3月25日
第32代李南信朝鮮語版中将1998年3月25日1999年10月27日
第33代金弼洙朝鮮語版中将1999年10月27日2001年10月10日
第34代文斗植朝鮮語版中将2001年10月10日2003年4月21日
第35代宋泳勤朝鮮語版中将2003年4月21日2005年2月5日
第36代金榮漢朝鮮語版中将2005年2月5日2006年12月4日
第37代許坪桓朝鮮語版中将2006年12月4日2008年3月20日
第38代金鍾泰中将2008年3月21日2010年4月2日
第39代裴得植朝鮮語版中将2010年4月2日2013年4月24日
第40代張璟旭朝鮮語版少将2013年4月24日2013年10月26日
第41代李載壽朝鮮語版中将2013年10月26日2014年10月13日
第42代趙顕千中将2014年10月13日2017年9月26日
第43代李錫九朝鮮語版中将2017年9月26日2018年8月4日
第44代南泳臣中将2018年8月4日2018年9月1日
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脚注

関連項目

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