天川真澄
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「千早ふる 神代も聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは」(在原業平)「嵐吹く 三室の山の もみぢ葉は 竜田の川の 錦なりけり」(能因法師)と唄われる紅葉で有名な奈良県斑鳩町出身。 1968年12月、そんな素晴らしい「大和」の地で、石綿(アスベスト)を扱う会社で働く父・治郎(享年52歳)、母・享子との間に次男として生まれる。幼い頃から、○○ごっこが好きで「太陽に吠えろ」や 「仮面ライダー」など当時人気のあったドラマ・ヒーロー物などになりきり、友達を連れては即興で遊んでいた。クリスマスに父が買ってきてくれた1/180という大きい「戦艦大和」のプラモデルを 作ったのをキッカケに「戦艦大和」に興味を持ち始める。
中学に入り吹奏楽部でホルンを3年間担当。それをキッカケにリコーダーを肌身離さずオモチャ代わりに吹くようになり、いつしかどんな曲も耳コピして吹くようになる。 16歳、高校に進学すると同時に、幼い頃から好きだった演じることを本物にしたく、役者の世界へすすむが、バイクと少林寺拳法に夢中になり、高校の3年間をほぼバイクのレースや少林寺拳法の大会などに費やす。 また、歌う事が好きな事もありLive活動ではボーカルを中心に活動する。
高校卒業後は、俳優業と共に報道に携わりVE(ビデオエンジニア)を経てENGカメラマンになり、普段経験することのない様々な現場を目の当たりにする。 大阪を拠点にしていた頃、劇団「新天地」の旗揚げに参加!年に2度の公演を中心に活動する。活動中、イベントなどの仕事も経験。王室公式行事(豊かな海作り大会)などにも携わる。 劇団当時に客演に来てくれたキャストから声が掛かり一つの舞台に立ったのを機に、映像の仕事に重きをおく。
2000年に、舟木一夫のミュージカル「アイラブ・ニューヨーク」の舞台に出演したタイミングで上京。俳優をやる目標として「幼い頃から好きだった戦艦大和に関する作品に必ず出演する」 そんな思いを抱きながら俳優業に携わり、その後その夢は叶う。 正社員、アルバイトなど携った仕事は多く、うどん屋から始まり、寿司屋・焼肉屋・パン屋などの飲食店や、ENGカメラマン・スチールカメラマン・何でも屋・葬儀屋・トラックドライバー・自動車関係・ カスタムバイク屋などを経験したことで、それぞれの分野でセミプロ級の腕前に達する。 そんな中でも車とバイクが好きで、特に車はアメリカ車、アメリカントラック、バイクはHARLEY-DAVIDSONを好む。そんな事もあり、現在でもそれらに関係する仕事に携わる事が多い。 趣味も多く、Live活動や、レーシング・カート、サバイバルゲーム、模型制作、カスタムバイク制作など多岐にわたる。