天羽々斬
日本神話に登場する刀剣
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概要
神話
三貴子の一柱、須佐之男命(素戔嗚尊)が最初にもっていた十拳剣は、天照大御神(アマテラス)と宇気比(誓約)した際、姉神によって三つに折られて口に含まれ[22][23]、宗像三女神(多紀理毘売命、市寸島比売命、多岐都比売命)となった(古事記、日本書紀本文)[24][25][26]。
天岩戸隠れを経て高天原を追放されたスサノオは、新たな剣を持っていた。まずオオゲツヒメ(大気都比売神)を斬り殺すが[27][28]、剣の名称について古事記は言及していない[29]。日本書紀で穀物神の保食命(ウケモチノ神)を斬り殺したのはツクヨミ(月読尊)である[30][31]。
つづいて出雲国に来たスサノオは、アシナヅチとテナヅチおよび愛娘クシナダヒメ(櫛名田比売)と出会う[32][33]。スサノオはクシナダヒメを救って妻とするため、ヤマタノオロチ(八俣遠呂智)を倒す[34][35]。スサノオは酒に酔って寝た八岐大蛇を、身につけていた十拳剣(天十握剣)で斬り刻む[36][37]。この大蛇の尾を斬ったとき、十拳剣の刃が欠けたので、尾を裂いてみると都牟羽の大刀/都牟刈の剣(非常に鋭い剣)が出てきた[38][39]。これが天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)であり、その別称が草薙剣(くさなぎのつるぎ)とされる[40][41]。スサノオは天叢雲剣を天照大神に献上した[42]。伝承によれば、三種の神器となった天叢雲剣(本体)は、現在も熱田神宮で祀られている[43]。
八岐大蛇を斬った十拳剣と、八岐大蛇から取り出した天叢雲剣(草薙剣)とも、古事記・日本書紀・他説話で、名称や行方に若干の差異がある[44]。ただし十握剣の名称は、いずれも「蛇」に関連する名前を持つ[10]。まず『古語拾遺』では「天羽々斬(あめのはばぎり)」と呼ぶ[45]。「羽々(はは)」とは大蛇の意[6]。
日本書紀では複数の異称を伝える[10][46]。神代紀上・第八段第二の一書では「蛇の麁正(おろちのあらまさ)」と呼称し[16]、「其の蛇を断りし劒をば、號けて蛇の麁正と曰ふ。此は今石上(いそのかみ)に在(ま)す」とある[13][47][48]。第三の一書では「蛇の韓鋤(おろちのからさひ)」と呼称し、「其の素戔嗚尊の、蛇を斬(断)りたまへる剣(蛇の韓鋤)は、今吉備の神部(かむとものを)の許(ところ)に在す。出雲の簸の川上の山是なり」とある[49][16][50]。「韓鋤」とは朝鮮半島伝来の意味と思われる[46]。第四の一書では「天蠅斫剣(あめのははきりのつるぎ)」と呼称する[47][16][51]。「蠅」は借字とされるが[52]、「刃の上を蠅が飛んで自然に切れて落ちたから」という伝説もある[11][53]。
一般的に、天羽々斬剣はまず石上布都魂神社(備前国赤坂郡)に祭られた[54][55]。その後、崇神天皇の代に石上神宮に移されたとされる[56]。石上神宮では、布都斯魂(ふつしみたま)として祀られている[57]。現在の石上神社で祀られるようになった経緯については、崇神天皇時代に出雲国造が献上した神宝[58]に関わる異説もある[46]。
なお桓武天皇の時代、石上神宮の神宝が桓武天皇に祟った事がある。『日本後紀』によれば、平安京遷都後の桓武天皇は、都の守りのために石上神宮の総ての神宝(剣)を葛野郡(山城国)に移動した(巻12、延暦23年2月5日条)[59]。すると桓武天皇は病に倒れ、石上大神(布留御魂大神)の祟りと判明した(延暦24年/805年、2月10日条)[59][60]。