太田玉茗
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武蔵国埼玉郡(埼玉県行田市)出身。1888年、曹洞専門本校大学林(現・駒澤大学)卒業。1894年7月に東京専門学校文学科卒業、同期に島村抱月、後藤宙外がいる。小学時代に、羽生市の建福寺住職・太田玄瞳の養子となり、12歳で僧籍に入る。1888年(明治21年)から「頴才新誌」に投稿をはじめ田山花袋を知り、雑誌「少年文庫」「文学界」各誌に新体詩をつぎつぎと発表して新体詩人として認められる。1897年(明治30年)田山花袋、柳田國男、国木田独歩、嵯峨の屋おむろらと『抒情詩』を刊行[1]。「花ふゞき」が収録された。真宗勧学院教授に就任。1899年(明治32年)建福寺住職となる[1]。1908年頃、文壇を離れた。1927年(昭和2年)4月6日逝去、56歳。
著作
- 「花ふゞき」(『抒情詩』所収)
- 『太田玉茗詩集』(羽生市収蔵)