太陽の鐘
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伊豆富士見ランド時代
1966年(昭和41年)、日本通運が静岡県伊豆の国市に開園した日通伊豆富士見ランドに設置された。制作者は現代美術家の岡本太郎であり、鋳造者は三重県桑名市の中川正知(中川梵鐘店)。川崎市岡本太郎美術館学芸員の大杉浩司によると、この作品にも岡本の提唱した「双極主義」の理念が見てとれるとされる。駿河湾と富士山が見える高台に設置されることを前提に制作され、雄大な自然とそれに抗いながら生きてきた人間の存在を対立軸として表す[4]。
- 制作者:岡本太郎
- 発注者:日通伊豆観光開発株式会社
- 構造設計者:工学博士 水原旭
- 施工者:鹿島建設株式会社横浜支店、ノバ・工芸株式会社
- 釣鐘鋳造:中川梵鐘店
- タイル(土台):小林窯業株式会社
- テラゾー(人造大理石、土台):大和興業株式会社
- 工期:1966年5月14日 - 7月8日(以上出典:[5])
1999年(平成11年)に伊豆富士見ランドが閉鎖され、非公開の状態で日通が保管していた[6]。幻の作品と呼ばれる[2]。ほぼ日刊イトイ新聞主宰・糸井重里を通してこの作品の存在を知った「太陽の会」は、前橋市再生のシンボルにすべく修復と移設を提案した[7]。
前橋市時代
2017年(平成29年)には前橋市に寄贈されることが決定した。前橋市によると、民間と連携したまちづくりを進める市の姿勢に賛同したとして日通から寄贈の打診があった[8]。同年4月21日、前橋市はこの作品を市内千代田町の広瀬川河畔の市所有地[6]に設置することを前橋市議会総務常任委員会に報告した[8]。同年5月9日、移設を仲介する「太陽の会」が都内でプロジェクトの概要を発表した。それによると、モニュメント部分を修復の後同年10月、広瀬川河畔に移設予定であるという[6]。
2018年(平成30年)3月31日、広瀬川河畔にて移設の記念式典が行われた[2]。式典中、太陽の会会長の田中仁は「民間のエネルギーと行政のサポートでいい形ができた」とあいさつした。また、糸井重里は「子どもたちが大人になったとき、自慢できるようなものになってほしい」と話した[1]。