女子高生
日本の高等学校に通う女子学生
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歴史

戦前の学制においては、現在の高等学校に対応する[5]旧制中等教育学校の一つである「高等女学校」の生徒が区分上は「女子高生」に相当する。1882年、日本で最初の女子教員養成機関である東京女子師範学校(後に東京女子高等師範学校に改組)に附属する形で日本初の高等女学校(現在のお茶の水女子大学附属中学校・高等学校)が誕生した[6]。
戦前の学制における旧制高等学校は、学校教育法に基づく現在の高等学校(新制高等学校)が(後期)中等教育機関であるのとは異なり、高等教育機関(現在の大学や高等専門学校に相当)に位置付けられており[7]、かつ女子の入学は認められていなかった[8]。旧制高等学校が女子にも門戸を開放したのは1947年度の入学試験からで[8]、名前としての「女子高生」が誕生したのもこの年度からである。しかし、学制改革によって旧制中等教育学校が新制高等学校に切り替わったことで、旧制高校の入学者は1948年度が最後となっている。旧制の1947年度入学者は、1950年3月の旧制高校廃止まで在籍し、48年度入学者は1年次修了で新制大学へ進学しており、この学制の過渡期には、旧制と新制の2種類の女子高生がいたことになる[9]。1950年度からは新制の女子高生ばかりとなって現在に至る[10]。
「女子高生」という言葉が使われだした明確な時期については不明だが、1962年2月の秋田魁新報の夕刊の中で『病院に咲く愛の花 名もあかさぬ女子高生』という記事が存在している[11]。
文化

(写真は2012年)
「女子高生」(略称: JK)は新しい流行を作り出し、けん引してきた。1990年代以降の「女子高生」は高校に通う10代女性にとって特権的な身分となっただけでなく、特有の自己表現も含意するようになった。性的に商品化されたことで男性の垂涎の的にもなった[12][13]。
特権的な自己表現としての「女子高生」の基本的な要素
文化としての「女子高生」は高校に通う10代女性のみに許された特権的な自己表現である[14]。その自己表現は教育で着用が義務付けられた制服を独自にアレンジする所から始まった。その発端であり1990年代以降に基本となった制服スカートの極端なミニスカート化は、制服という枠組みで表現される「女子高生」において必要不可欠なアレンジである[15][14][16]。スカートの丈を短くする方法は、上から折り曲げる方法か、下から切る方法が行われるが、どちらも学校や制服メーカーにとっては非公認の方法である[17]。「女子高生」において2番目に重要な要素となるルーズソックスは1990年代に「E.G.スミス」というブランドが最も高い人気を誇り、「女子高生」からの要望を受けて長いサイズが次々と用意されたが、後に生産が困難となり、他の様々なブランドがシェアを分け合うことになった[18][19]。1990年代のルーズソックスの履き方としては、「ソックタッチ」と呼ばれるくつ下用のノリを使って、ふくらはぎでルーズソックスを止める履き方が主流であった[20]。「女子高生」において3番目以降に重要な要素として、緩いニットをブレザーの下に着たり、リボンを下げたりするアレンジも行われた[15]。結果として、上半身は通常の制服姿に近いが、下半身は太ももからふくらはぎにかけて大胆に露出するスタイルとなった。こうした自己表現をすること自体が人生で1回しか体験できない「女子高生」の特権となった[21][22][23][24]。同時に、大胆な露出を伴う見た目から「女子高生」が性的に商品化されるようにもなった[12][13]。「女子高生」の言動においては、新語の創出と活用、デジタル・アナログ問わず新しいコミュニケーションツールを素早く採用するなど、新しい方法を次々と試す特徴があり、結果として明るく軽い印象の自己表現を行うことになった[25][26]。
文化的流行
「女子高生」が文化として着目されたのはポスト団塊ジュニアが高校に在学していた1990年代だと言われている[25][27][26]。女子高生の文化にマスメディアが焦点を当て、テレビなどでトレンドや新しいムーブメントとして紹介されたこと、ブルセラや援助交際などの社会的な問題などがあって「女子高生ブーム」が起きたと言われている[25][26]。1993年8月、全国でブルセラショップの摘発報道が一斉に開始し、ルーズソックスやミニスカート制服の流行、ポケベル・携帯電話などの新しいコミュニケーションツールの素早い取り入れや活用、「チョベリバ」などの新語の創出、テレクラやツーショットダイヤルを介した「援助交際」など、新しい文化を次々と生み出してマスメディアに話題を提供し続けた[25][26]。バブル経済崩壊後、日本経済が低迷する中で固定観念を持たず従来の価値観を覆して邁進する「女子高生」のイメージは、マスメディアに対する一種のカンフル剤のような効果を果たしたのではないかと指摘する声もある[25]。
日本国外の動向

1990年代以降、「制服」がおしゃれやファッションや文化の手段としての傾向が強まったとの見方もあり[28]、近年の日本におけるこのような制服のファッション化は、日本国外でも注目されており、フランスの雑誌『Japan LifeStyle』における言及、「日本の女子高生の制服は自由の象徴」といったパリ娘たちの意見[29]や2009年Japan Expoにおける制服ファッションの前年比での激増[30]、ファッション誌に常に制服が特集されているタイ王国[31]、バンコクで2009年3月に開催された制服ファッションイベント「カワイイ・フェスタ」されている。中国では、若い女性の間で女子高生の制服「JK制服」はロリータ・ファッション、漢服を加えた3つが「三坑」(3つの穴)ファッションと呼ばれ、年々需要が拡大している一方である[32]。中国では日本から本物の「JK制服」を輸入するバイヤーだけでなく、中国国内向けに新たな「JK制服」を製造・販売するブランドも立ち上がっており、「JK制服」の入手が容易になったことから2020年代前半には上海といった都市部で「JK制服」を着用した中国人女性が普通に見られるようになった[33]。
法的扱い
1990年代以降、女子高生の性的価値の高さに着目した下記のような闇のビジネスが台頭した。下記については消費者となる成人男性だけでなく、一部の女子高生も金銭欲しさに積極的に加担するようになり、新たな社会問題となった。
1990年代に入ると携帯電話やインターネットが急激に普及し[25]、金銭的な援助を目的とした成人男性との交際である「援助交際(略語は援交)」やブルセラという中古制服や中古下着の販売などが特に問題となった[25]。匿名の掲示板や出会い系サイトの発達など、情報社会の進展に伴い女子高生が関わる援助交際の増大の一因とも指摘され[25]、社会問題としても大きく取り上げられている[25]。
また2000年代中盤以降はいわゆる「JKビジネス」が発展[34][35]、2010年代に入ると、「JKリフレ」「JK見学」などサービスの過激化とともに[34][36]、マスメディアでも取り上げられ、警察から度々摘発されるなど[36]、問題視されている[36]。 ただし成人年齢引き下げ後の特定少年(18歳と19歳の者)は親権や虞犯[37]や未成年者略取誘拐罪[38]の客体対象外となった(お持ち帰りされたり同棲したり愛人として囲われるのも合法となり反対している親が警察に言っても本人の意思に反して家に連れ戻されることはなくなった)。 一方で15歳の者は刑法改正により法定強姦の客体対象となった。 16歳と17歳の者は青少年健全育成条例や児童福祉法や児童買春・ポルノ禁止法や出会い系サイト規制法の客体対象である。
