女性の休日

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原因男女の賃金差、女性労働の過小評価、政治分野における女性の過少代表
目的有償労働と無償労働の双方における女性の不可欠性の可視化と男女平等の実現
女性の休日
日時1975年10月24日
場所アイスランド
原因男女の賃金差、女性労働の過小評価、政治分野における女性の過少代表
目的有償労働と無償労働の双方における女性の不可欠性の可視化と男女平等の実現
手段女性によるストライキ(「休日」)
結果翌1976年に性別に基づく差別を禁じる法律が制定された

女性の休日(じょせいのきゅうじつ、アイスランド語: Kvennafrídagurinn)は、1975年10月24日アイスランドで行われた女性による全国的な抗議行動・ストライキである[1][2][3]。参加者は職場での有償労働だけでなく、家事や育児などの無償労働も一斉に停止し、男女の賃金差、女性労働の過小評価、政治分野における女性の過少代表に抗議した[1][2][3]。アイスランドの女性の約9割が参加したとされ、レイキャヴィークでは約2万5千人が集会に参加した[4][5][6][3]。この行動の翌1976年には性別に基づく差別を禁じる法律が制定された[3][4]

アイスランドでは1915年に女性参政権が認められたが、1975年時点でも女性閣僚はおらず、国会議員60人のうち女性は3人にとどまっていた[4][7]。また、当時の女性の賃金は男性より著しく低く、男女の賃金格差は40%以上だった[6]。家事、育児、農場労働など女性が担う労働も十分に評価されていなかった[7][3]

1960年代からの欧米の女性解放運動はアイスランドにも影響を与え、その中でアイスランドのレッド・ストッキング運動英語版が形成された[6][2]。1975年は国際女性年であり、これを機にアイスランドでは女性団体や労働組合、社会運動団体の女性メンバーらが連携し、記念事業の準備を進めた[2][8]。同年6月にレイキャヴィークで開かれた女性会議では、10月24日に女性が一斉に仕事を休むことを求める動議が採択された[2]

当初は「ストライキ」として構想されたが、違法な争議と見なされるおそれがあり、また、より広い層の女性に参加を呼びかけるため、主催者は名称を「ストライキ」ではなく「女性の休日」に改めた[5][6][2]。その後、各地の団体に賛同が呼びかけられ、計画はメディアや口コミを通じて全国に広く伝えられた[9]

経過

1975年10月24日、アイスランド各地の女性たちは職場に出勤せず、家事や育児も行わなかった[2][3][8]。このため、銀行、工場、商店などで業務に大きな支障が生じ、保育所や学校も休業または縮小対応を余儀なくされた[4][2]。各地で集会やデモも行われ、レイキャヴィークでは約2万5千人の女性が参加し、全国20カ所以上で集会が開かれた[6][4][5][10]。会場では演説、合唱、討論などが行われた[4][2]。また、多くの父親が子どもを職場に連れて行かざるを得なくなり、簡単に調理できて子どもに人気の食材であるソーセージが品薄になったとも報じられた[4][5][1]

影響

この行動を受けて、翌1976年には性別に基づく差別を禁じ、男女の平等な権利を保障する最初の法律が制定された[3]。また、この行動は1980年のヴィグディス・フィンボガドッティルの大統領選出にもつながったと広く評価されている[3][4]。ヴィグディスは、民主的選挙によって選出された世界初の女性国家元首であった[4]。ヴィグディス自身も、この行動がなければ自分は大統領になっていなかっただろうと述べている[4]。この行動はアイスランド国外の女性運動にも影響を与えた[6]

継承

2005年の30周年記念行動

「女性の休日」はその後も記念行動・抗議行動として繰り返され、1985年、2005年、2010年、2016年、2018年、2023年にも関連行動が行われた[11]。2016年には、女性の平均所得が男性平均の70.3%にとどまることへの抗議として、女性たちが14時38分に仕事を離れる行動が呼びかけられた[12]

2023年10月24日には48年ぶりの終日ストライキが行われ、女性とノンバイナリーの人びとが賃金格差、無償労働の偏り、ジェンダーに基づく暴力に抗議した[13][14]。この行動には首相のカトリーン・ヤコブスドッティルも参加し、学校、図書館、銀行、店舗、病院などに大きな影響が出た[13][14]

映画化

女性の休日
The Day Iceland Stood Still[15]
監督 パメラ・ホーガンドイツ語版[16]
製作 フラプンヒルドゥル・グンナルスドッティル[17]
製作総指揮 イライザ・リード英語版[16]
音楽 マルグリエト・ラウン・マグヌスドッティル[16]
撮影 ヘルギ・フェリクソン[16]
編集 ケイト・タベルナ[16]
製作会社 Other Noises、Krumma Films[16]
配給 kinologue[16]
公開 2024年 / 2025年10月25日(日本)[16]
上映時間 71分[16]
製作国 アイスランドの旗 アイスランドアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国[16]
言語 アイスランド語・英語[16]
テンプレートを表示

「女性の休日」から50年を前に、2024年にこの出来事を題材とするドキュメンタリー映画『女性の休日』が製作された[16][15]。この映画は、当時の映像、関係者の証言、アニメーションを交えながら1975年の行動とその意義を描いた作品である[10]。監督はパメラ・ホーガンドイツ語版、製作はフラプンヒルドゥル・グンナルスドッティル、製作総指揮はイライザ・リード英語版[17][16]。日本では2025年10月25日に公開された[16][15]。日本での配給はkinologueが担い、配給を手がけた森下詩子は2024年にスウェーデンの映画祭で本作に出会ったことをきっかけに、日本への紹介に取り組んだ[18]

エンドクレジットソングにはビョークの「Future Forever」が用いられた[17]。出演者として、ヴィグディス・フィンボガドッティルグズルン・エルレンズドッティル英語版、アウグスタ・ソルケルスドッティル、グズニ・ヨハンネソンらがクレジットされている[17]

日本での受容

この出来事を描いたドキュメンタリー映画『女性の休日』の日本公開を機に、日本でもアイスランドの「女性の休日」に着想を得た行動が広がった[10][19][20]。2026年の国際女性デーに合わせ、3月6日を中心に各地でスタンディングや集会などの「日本版『女性の休日』」アクションが行われた[21][19][22][23]。これらの報道では、1975年のアイスランドの行動が、現代日本における男女賃金格差や家事・育児負担の偏り、ケア労働の低評価、性差別を考える契機として受け止められていることが紹介された[19][24][20]

参考文献

  • 浅井亜希「アイスランドにおける社会的危機とジェンダー平等をめぐる考察」『立教法学』第112巻、立教法学会、2024年9月30日、1-15頁、doi:10.14992/0002001153 

関連文献

  • リンダ・オウラヴスドッティル著、朱位昌併訳『本当にやる!できる!必ずやる! : アイスランドの「女性の休日」』ゆぎ書房、2025年10月
  • 塩田潤「「女性の休日」とはなにか : ケアと民主主義の視座からの再検討」(特集 いま世界と日本で、何が起こっているか)『学習の友』通号870号、学習の友社、2026年2月、65-70頁

脚注

関連項目

外部リンク

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