妖艶毒婦伝 お勝兇状旅
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| 妖艶毒婦伝 お勝兇状旅 | |
|---|---|
| 監督 | 中川信夫 |
| 脚本 |
高田宏治 山本英明 |
| 出演者 |
宮園純子 北上弥太朗 伊藤久哉 大信田礼子 梅宮辰夫 |
| 音楽 | 河辺公一 |
| 主題歌 | 白刃恋唄(唄・宮園純子) |
| 撮影 | 山沢義一 |
| 編集 | 長沢嘉樹 |
| 製作会社 | 東映東京撮影所 |
| 配給 |
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| 公開 |
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| 上映時間 | 84分 |
| 製作国 |
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| 言語 | 日本語 |
| 前作 | 妖艶毒婦伝 人斬りお勝 |
『妖艶毒婦伝 お勝兇状旅』(ようえんどくふでん おかつきょうじょうたび)は、1969年(昭和44年)公開の日本映画[1][2][3]。中川信夫監督、東映東京撮影所製作、東映配給[1]。カラー映画(フジカラー)、シネマスコープ、7巻 / 2,295メートル(1時間24分)。アメリカ発売DVDの英語題名はLegends Of The Poisonous Seductress: Okatsu The Fugitive[4]。
1968年(昭和43年)から1969年にかけて全3作品が製作された宮園純子主演『妖艶毒婦伝』シリーズの3本目であり、シリーズ最終作である[5]。
シリーズの第1作『妖艶毒婦伝 般若のお百』(1968年、石川義寛監督)ではヒロインの名前は「お百」だったが、監督が中川信夫に交代した2作目『妖艶毒婦伝 人斬りお勝』(1969年)と本作品では、ヒロインは甲源一刀流の使い手である「お勝」に名前が変わっている[5]。しかし、『人斬りお勝』のヒロインは道場主の娘[6]、本作品のヒロインは上州沼田藩重役の娘[7]と異なっており、ストーリー的にも直接のつながりはない。
中川信夫は本作品を最後にテレビドラマに活躍の場を移し、劇場映画は遺作となったATG作品『怪異談 生きてゐる小平次』(1982年)まで携わらなかったため、本作品は中川にとって最後の邦画メジャー作品となった。
あらすじ
1841年(天保12年)。上州沼田藩の側用人・田代重太夫は御用商人の島田屋庄左衛門と結託して、違法に栽培した煙草を江戸で密売していた。密造に強制的に狩り出された百姓・人足たちは用済みになると口封じのために虐殺され、従わなければ厳しい拷問を受けた。田代の悪行が幕府に知れ渡ればいずれ藩の存亡につながると危惧した藩士たちは、江戸詰の大納戸役・真壁主計に田代の罪状書を託すが、悪事が国表に知れ渡ることを恐れた田代は、娘・お勝の婚儀を控えた真壁の屋敷に部下を放って真壁一家を拉致し、罪状書のありかを吐かない真壁と妻を拷問にかけて殺してしまう。両親を殺され、自らは強姦され、甲源一刀流の師匠である出雲や許婚の新三郎にまで裏切られてしまったお勝は、田代一派への復讐を誓い、町人姿に身を変えて、沼田に向かう田代を追跡する。
素性を隠しているために関所を越えられないお勝は、宿場にたむろする人足たちを色仕掛けで籠絡して関所破りを懇願するが、出世欲に取り憑かれて田代の犬に成り下がった新三郎の襲撃を受けて負傷する。すんでのところでお勝を助けた浪人の犬神隼人は、かつて沼田藩の指南役であり、指南役の座を狙う出雲の陰謀によって藩を追放された男だった。犬神の助けを得て田代を追い詰めたお勝は、鬼と罵しられながらも田代一派を皆殺しにして復讐を遂げるのだった。
スタッフ
キャスト
- 真壁勝(お勝): 宮園純子
- 三上新三郎: 北上弥太朗
- 出雲邦典: 名和宏
- かおる: 大信田礼子
- 島田屋庄左衛門: 安部徹
- 沖野大膳: 沼田曜一
- 源さん(源六): 鈴木やすし
- 真壁主計: 河野秋武
- 田代重太夫: 伊藤久哉
- お京: 沢淑子
- 真壁さわ: 南風夕子
- お浪: 花柳幻舟
- 中千鳥(新人)・小林千枝・関山耕司・植田灯孝・仲塚康介
- 榊藤兵衛: 伊達正三郎
- 権: 日尾孝司
- 平田帯刀: 沢彰謙
- 安: 佐藤晟也
- 岩崎左内: 伊達弘
- 辰: 須賀良
- 西川甲蔵: 中島信義
- 相馬剛三・土山登士幸・林宏・亀山達也・山本緑・谷本小代子・大森不二番・星野みどり・中村靖・星野修・瀬沼真一・山内友宗
- 犬神隼人: 梅宮辰夫
製作
内容は前2作と同工異曲[3]。前作同様、お勝(宮園純子)には"妖艶"的要素も"毒婦" 的要素もなく[2]、両親を奸計により死に到らしめた悪家老・真壁主計(河野秋武)や御用商人・島田屋庄左衛門(安部徹)ら、一味を倒し仇を討つ復讐もの[2]。その分残酷描写は増している。目を引くのがエンドクレジット他で何度か出る百姓をこき使って労働をさせる蔵をかなり高い位置から捉えたカット[2][3]。お勝(宮園)の人物設定が前作と違う他、前作では大信田礼子との軽いバディムービーになっていたが、本作では大信田の役名はかおるに変更され、三分の二も進んだところで犬神隼人(梅宮辰夫)と一緒に唐突に登場。前作と同じく『旅がらすくれないお仙』に於ける"かみなりお銀"のスタイルだがバディムービー要素はなし。前作より出演シーンは少ないものの自慢の脚線美をふんだんに見せる。大信田は梅宮に売名行為で接近したという説もある[8]。当時大信田は脱がせようとする東映と折り合いが悪かったとされる[9]。東映東京撮影所は現代劇専門のため、梅宮は初めての時代劇出演と見られる。犬神は腕を撃たれただけで気を失ったお勝を救う。犬神とかおるは子供たちを集めて私塾をやっている。何故かすぐに三上新三郎(北上弥太朗)が場所を突き止め、出雲邦典(名和宏)ら悪党一味が私塾に火を放ち、子どもの一人を人質に取るが、子どもを放して何故か引き下がり、何の目的で来たのか分からない。花柳幻舟(お浪役)は残り20分で出演。中盤、お勝を騙す芸者を前作と同じ沢淑子が演じている。前作に比べて悪党一味を安部徹、沼田曜一、名和宏が演じているためより迫力がある。お勝(宮園)の父役で真壁主計を演じる50代後半の河野秋武がハードな水車責めを実際に行っている。お勝(宮園)が強く、敵の田代重太夫(伊藤久哉)の手下をやっつけている最中に父(河野)と母(南風夕子)が自殺するのは意味が分からない。桂千穂が褒めている田代にお勝が犯されるが描写もソフトで、前作に続いてエロ要素が低く、お京を演じる沢淑子が入浴シーンでチラッと乳を見せるが、当時は東映ポルノが最盛期で、中川信夫監督は濡れ場の撮影が嫌いなのか、それには参加しないという意思を強く感じる。森の中で追い剥ぎに犯されそうになった若い娘をお勝が救うシーンで、追い剥ぎが「ごちになろうよ」と言い、同じセリフがもう一回出る。エンディングは続編がありそうな感じで終わるため、製作当時は四作目も予定していたのかもしれない。
作品の評価
鈴木健介・作成による『中川信夫・年譜』によれば、本作品は中川信夫が1962年(昭和37年)以来、久々に年間3本の劇場用映画(『さくら盃 義兄弟』、『人斬りお勝』、本作品)を手掛けた1969年の1本であり[10]、鈴木はこの年における中川の姿を「大いに気を吐く」と表現している[11]。「大いに気を吐く」とは、1931年(昭和6年)に在籍していたマキノ・プロダクションの解散で失職し、翌1932年(昭和7年)に市川右太衛門プロダクションに移籍してからもなかなか思い通りの仕事が出来なかった中川に対して、1934年(昭和9年)に山上伊太郎が贈った言葉「人間は一生に一度、必ず気を吐く時があるものです」がもとになっている[12]。中川は生涯この言葉を「反省の鞭」とした[13]。
両手両足を縛られたお勝(宮園)が、田代重太夫(伊藤久哉)に強姦される場面について、脚本家の桂千穂は宮園純子の顔のアップだけでマゾヒズムを表現した演出を評価しているが[14]、桂が中川に行ったインタビューにおいて中川は「つまらん、オワリ!」と遮って、本作品の出来に対する不満をあらわにしている[14]。