富司純子

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富司 純子(ふじ すみこ、1945年昭和20年〉12月1日[1]- )は、日本女優司会者血液型O型。出生地は和歌山県御坊市[2]で、大阪市東成区出身。旧芸名は藤 純子(ふじ じゅんこ)。本名は寺嶋 純子(てらじま じゅんこ)、旧姓は俊藤(しゅんどう)。2007年平成19年)に紫綬褒章受章[3]2016年(平成28年)春の叙勲で旭日小綬章を受章[4]

本名 寺嶋 純子 (てらじま じゅんこ)
旧姓は俊藤 (しゅんどう)
別名義 藤 純子 (ふじ じゅんこ)
生年月日 (1945-12-01) 1945年12月1日(80歳)
概要 ふじ すみこ 富司 純子, 本名 ...
ふじ すみこ
富司 純子
本名 寺嶋 純子 (てらじま じゅんこ)
旧姓は俊藤 (しゅんどう)
別名義 藤 純子 (ふじ じゅんこ)
生年月日 (1945-12-01) 1945年12月1日(80歳)
出生地 日本の旗 日本和歌山県御坊市
出身地 日本の旗 日本大阪府大阪市東成区
血液型 O型
職業 女優司会者
ジャンル 映画テレビドラマ
活動期間 1963年 -
活動内容 1963年:デビュー
1972年:結婚、引退
1974年:司会者として復帰
1977年:出産・育児のため休業
1980年:復帰
1982年:女優復帰
1989年:映画出演再開
1998年:復帰後初めて映画主演
2007年紫綬褒章
2016年旭日小綬章
配偶者 七代目尾上菊五郎
著名な家族 寺島しのぶ(長女)
八代目尾上菊五郎(長男)
尾上眞秀(孫)
六代目尾上菊之助(孫)
主な作品
映画
サマーウォーズ
八州遊侠伝 男の盃
緋牡丹博徒シリーズ
日本暗殺秘録』/『日本女侠伝シリーズ』
日本侠客伝 昇り龍』/『女渡世人シリーズ』
関東緋桜一家』/『あ・うん
テレビドラマ
源義経』/『翔ぶが如く
北条時宗』/『てっぱん
情報番組
3時のあなた
受賞
日本アカデミー賞
優秀主演女優賞
1990年『あ・うん』
優秀助演女優賞
2000年『おもちゃ』
2007年『フラガール』
2015年『舞妓はレディ』
ブルーリボン賞
その他の賞
下記を参照
備考
紫綬褒章2007年
旭日小綬章2016年
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来歴

日本侠客伝シリーズ 第9作『日本侠客伝 花と龍』(1969年) の予告編映像より

疎開先の御坊市で生まれ[2][5]、5歳のときに大阪市東成区へ移り[2][5]、7歳から日本舞踊を習う。大阪市立中道小学校大阪市立本庄中学校卒業[2]。父親・俊藤浩滋は家にはほとんど帰ってこない火宅の人で、母と祖母に苦労して育てられる[5]。中学のときに宝塚歌劇のファンになり、中学卒業時に宝塚音楽学校を受験しようと考えて、宝塚コドモアテネに通っていたことがあった。しかしながら、父の反対があり受験を断念[6]

1962年昭和37年)、四條畷学園高等学校2年生のときに[2]よみうりテレビの歌謡番組『ハイハイ、マヒナです』のカバーガールとして姉・允子とともに出演[2]。その当時は大阪の芸能プロダクションに所属していた[6]。同年一家が京都に転居したため[2]京都女子高等学校に転校[2]

1963年(昭和38年)、当時共演をしていた名和宏から「松竹のカメラテストを受けてみないか」と誘われ[5]松竹も東映も当時、京都に撮影所があったため[5]、両方行って父・俊藤浩滋にも会いにいこうとなり[5]、松竹の後、父の勤務先である東映京都撮影所(以下、東映京都)に行った際にマキノ雅弘スカウトされる[6][7]。俊藤は自分の仕事場に娘が出入りされるのが嫌で猛反対したが[7]、マキノが「俺が責任を持つから、お前は黙っていろ」と俊藤を屈服させた[7]。マキノから藤 純子の芸名をもらい、同年の映画『八州遊侠伝 男の盃』で千葉真一の恋人役でデビューした[1]。松竹のテスト結果は聞いていなかったが、もし松竹に入っていたら人生、全く違っていたと思うと話している[7]。もともと、苦労して育ててくれた母を一日でも早く一人前になって楽にしてあげたいと考えていたから[5]、一人前になれれば、女優でなくてもよかったという[5]。俊藤が東映に深く関わるのは岡田茂が1964年に東映京都所長に就任して以降で[8]、藤は「父が東映にいることもそれまでは知らなかった」と話している[5]。この年は朝日放送のコメディー『スチャラカ社員』の若い女給役で出演している。

1967年(昭和42年)、出演55本目の『尼寺物語』で初主演[9]1968年(昭和43年)、当時の東映常務兼企画製作本部長・岡田茂が企画した『緋牡丹博徒』の主役に抜擢される[10][11][12][13][14][15]。岡田が俊藤に気付かれないようこっそり藤を呼び[14]、「オヤジは照れてよう口説かんだろうけど、片肌脱げるか。そして入墨入れろ」と説得し[12][13][14]、藤は「分かりました」と即答した[12][13]。同作で主題歌を歌い、映画も大ヒット[16][17]、任侠映画ファンを中心に絶大な支持を得て[2][12][18]、主人公・緋牡丹のお竜(矢野竜子役)は、藤の最大の当たり役となってシリーズ化された[16][19]若山富三郎菅原文太と共演した1970年昭和45年)の第6作目『緋牡丹博徒 お竜参上』はシリーズの代表作となった[1]。『緋牡丹博徒』の成功をみた岡田茂企画本部長は[15][20][21]、『日本女侠伝シリーズ』『女渡世人シリーズ』と合わせ、東映のトップスター・高倉健と並ぶ三つの主演シリーズを敷き[15][22]、藤はまたたく間にスターダムへ駆け上がり、東映の看板女優となった[15][23]

このころ出演した1969年(昭和44年)の『日本暗殺秘録』と1970年(昭和45年)の『日本侠客伝 昇り龍』を、二作品とも富司の主演ではない映画だが、富司は好きな作品として挙げている[24]

1972年(昭和47年)、NHK大河ドラマ源義経』で共演した歌舞伎俳優の四代目尾上菊之助(現・七代目尾上菊五郎)と結婚し、『関東緋桜一家』を最後に引退を表明[1]

1974年(昭和49年)、寺島 純子(てらしま じゅんこ)の本名でフジテレビのワイドショー『3時のあなた』の司会に就任し、「司会者」として芸能界に復帰。1977年昭和52年)より3年間、出産・育児のため番組を一時降板したが、1980年昭和55年)より復帰。歴代司会者では森光子に次いで2番目の長寿司会在任期間(10年11か月)となった。1983年昭和58年)には、NHK『勇者は語らず いま、日米自動車戦争は』で女優としても復帰。

1989年(平成元年)には、ファンのアンコールもあって高倉健との『あ・うん』で映画への出演を再開[1]。この際「白紙の新人女優としてスタートしたい」、「寺島は夫の名字」との意思から芸名を富司 純子(ふじ すみこ)に改めた。

1996年 (平成8年)『祇園の姉妹』で菊田一夫演劇賞受賞。

1998年(平成10年)『おもちゃ』で26年ぶりに東映の映画に出演、各助演女優賞に輝く。

2000年に発表された『キネマ旬報』の「20世紀の映画スター・女優編」で日本女優の10位になった。2014年発表の『オールタイム・ベスト 日本映画男優・女優』では日本女優3位となっている[25]

2006年(平成18年)、映画『フラガール』で日刊スポーツ映画大賞助演女優賞を受賞。同賞の主演・助演賞の2冠は渡哲也真田広之鈴木京香に続き4人目[26]

2010年(平成22年)、連続テレビ小説てっぱん』で主人公の祖母役を演じ、ギャラクシー賞2011年度2月月間賞を獲得した。

家族

父は俊藤浩滋、夫は七代目尾上菊五郎、長女は寺島しのぶ、長男は八代目尾上菊五郎、孫は尾上眞秀六代目尾上菊之助。兄は六本木で居酒屋を営んでいる。

出演

映画

テレビドラマ

情報番組

ドキュメンタリー

  • 京都迎賓館 極める!京都の技とおもてなし(2013年12月14日、NHK BSプレミアム / 2014年1月3日、NHK総合)

バラエティ

声優

CM

受賞

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作品 受賞年 カテゴリ 結果
緋牡丹博徒・お命戴きます 女渡世人・おたの申します 1972年 第45回キネマ旬報ベスト・テン 女優賞 受賞
緋牡丹博徒・お命戴きます 1972年 第26回毎日映画コンクール 女優演技賞 受賞
あ、春 1999年 第24回報知映画賞 助演女優賞 受賞
ドリームメーカー 1999年 第24回報知映画賞 助演女優賞 受賞
おもちゃ 2000年 第42回ブルーリボン賞 助演女優賞 受賞
第73回キネマ旬報ベスト・テン 助演女優賞
第12回日刊スポーツ映画大賞・石原裕次郎賞 主演女優賞
第23回日本アカデミー賞 最優秀助演女優賞 ノミネート
フラガール 2007年 第19回日刊スポーツ映画大賞・石原裕次郎賞 助演女優賞 受賞
第49回ブルーリボン賞 助演女優賞
第16回東京スポーツ映画大賞 助演女優賞
第30回日本アカデミー賞 最優秀助演女優賞 ノミネート
舞妓はレディ 2014年 第39回報知映画賞 助演女優賞 ノミネート[34]
トワイライト ささらさや 2014年 第39回報知映画賞 助演女優賞 ノミネート[34]
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受賞年
2007年 VOGUE NIPPON Women of the Year 2007
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脚注

参考文献

外部リンク

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