姈子内親王
鎌倉時代後期の皇族・歌人。後深草天皇の第三皇女。後二条天皇の准母・皇后宮。のち後宇多上皇の妃。
From Wikipedia, the free encyclopedia
略歴
文永7年(1270年)9月19日誕生。文永8年(1271年)、内親王宣下。弘安8年(1285年)8月、後二条天皇准母として皇后宮に冊立(尊称皇后。ただし実際は後二条天皇は生後間もなく、立太子もしていないので准母というのは誤りか)。正応4年(1291年)8月、院号宣下により遊義門院となる。永仁2年(1294年)6月頃、後宇多上皇の御所冷泉万里小路殿へ移る。嘉元2年(1304年)1月、生母・東二条院崩御。同年7月、後深草上皇崩御。徳治2年(1307年)7月24日、急病により崩御。2日後、後宇多上皇出家。
『増鏡』によれば、後深草上皇(持明院統)の秘蔵の愛娘であった姈子内親王を後宇多上皇(大覚寺統)が見初め、恋心止みがたくついに盗み出してしまったという。持明院統と大覚寺統は当時朝廷を二分して対立していたため(両統迭立)、これは大事件だったようである。事件の詳細は不明だが、その後上皇は数多い寵妃の中でも姈子内親王を別格の存在としてこの上なく大切に遇したといい、後に彼女の急逝を悼んで葬送の日に出家したことから見ても、上皇が姈子内親王を深く寵愛したのは事実であったらしい。