孔鯉
孔子の子、子思の父
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生涯
『孔子家語』本姓解によれば、孔鯉は、孔子が(数え年で)20歳のときに生まれた。母は幵官氏。生まれたときに魯の昭公が祝いに鯉(コイ)を贈ったため、そこから名付けられたという。
『礼記』檀弓上には、母が死んだときに礼をはずれて嘆き、孔子にたしなめられたと記されている。
『史記』孔子世家によると、(数え年で)50歳のときに死んだ。この年に孔子は69歳であった。孔子が諸国を放浪した後、魯に帰って間もなく死んだことになる。
『論語』先進篇にも孔子が孔鯉の死んだときのことについて言及しているため、孔鯉が父より早く死んだことは確かである。
子に孔伋(子思)があった。『礼記』檀弓上に子思の嫂(あによめ)について言及した箇所があるため[2]、ほかにも子がいたかもしれない。
