存冏

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存冏(ぞんげい、応永18年(1411年) - 明応8年(1499年3月4日)は、室町時代浄土宗の僧侶。音蓮社釈誉(おんれんしゃ しゃくよ)とも称される[1]

人物・経歴

千葉氏の一族として生まれる。同族の聖聡の下で出家し[1]、聖聡の同門で、下総国飯沼弘経寺の開山の良肇名越流北条氏出身)に師事して浄土宗を学んだ[2][3]

松平氏(のちの徳川氏)との関係を築いたことで知られ[4]、1451年(宝徳3年)には松平信光の帰依を受け、三河国岩津信光明寺を開創[5]。1478年(文明10年)には松平氏酒井氏寄進により信光明寺の伽藍を完成させた[1]

1479年(文明11年)には松平氏の勢力拡大を背景に、後土御門天皇より勅願所綸旨を賜る[6]。1488年(長享2年)、松平信光の葬儀を執行し、崇岳院殿の諡号を贈った[5]

事績

信光明寺の創建

松平氏菩提寺としての基礎を確立し、了暁から始まる後の徳川将軍家浄土宗の結びつきを強化した[7]

白旗派の三河進出

飯沼弘経寺法流を三河に伝え、弟子の存牛松平親忠の子)らを通じて京都知恩院との関係を強化した[5]

皇室との関係構築

勅願所の綸旨獲得により、地方寺院ながら朝廷との繋がりを確立した[6]

主な門弟

文化財

脚注

関連項目

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