千葉氏の一族として生まれる。同族の聖聡の下で出家し[1]、聖聡の同門で、下総国飯沼弘経寺の開山の良肇(名越流北条氏出身)に師事して浄土宗を学んだ[2][3]。
松平氏(のちの徳川氏)との関係を築いたことで知られ[4]、1451年(宝徳3年)には松平信光の帰依を受け、三河国岩津に信光明寺を開創[5]。1478年(文明10年)には松平氏、酒井氏の寄進により信光明寺の伽藍を完成させた[1]。
1479年(文明11年)には松平氏の勢力拡大を背景に、後土御門天皇より勅願所の綸旨を賜る[6]。1488年(長享2年)、松平信光の葬儀を執行し、崇岳院殿の諡号を贈った[5]。