学庭拾芳録
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1872年(明治5年)の学制制定以降、各地に小学校が創設されるが、当時の小学校では進級課題として児童に作文を書かせることがあり、優秀作品を掲載した文集・作文雑誌も誕生していく[1][2]。本誌は、当時の東京府内の小学生の作文を掲載することを目的に日本橋小網町の聚星館から出版された[1][3]。
出版形態は、四六判の袋とじで本文8ページ程度、月に数号刊行する形式であり、創刊初期の定価は1銭[1][3][4]。誌面には、番町や麹町などの日本橋近辺の小学校の児童の作文のほか、各校の教員による文章や試験問題なども掲載され、作文指導の教材としても使われた[1][4]。児童による自由投稿ではなく、学校単位で各校の優秀作文を投稿していたと考えられている[3][5]。
本誌の正確な創刊時期は不明であるが、毎号に掲載された秋月観樹による巻頭言の日付が明治10年1月であることから同時期(1877年)に創刊されたと考えられている[4]。1877年(明治10年)3月に創刊した『穎才新誌』とともに日本の児童雑誌の起源の一つに数えられ、1878年(明治11年)頃まで刊行された[4][6]。