宇井昇
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エピソード
下記の第一声の直前に元NHKの松内則三・和田信賢より(NHKからの移籍組4名を除く)他の第1期とともにアナウンス研修を(当時にNHKで1年かかる内容を)半年で受けた。
宇井の民間放送第一声は『中部日本放送、JOAR、1090キロサイクルでお送りします。みなさん、お早うございます。こちらは名古屋のCBC、中部日本放送でございます。昭和二十六年九月一日、わが国ではじめての民間放送、中部日本放送は本日ただ今、放送を開始しました』であった[1]。
1954年、初のリーグ優勝を遂げた中日ドラゴンズが出場した中日球場での日本シリーズ第1戦と第7戦のラジオ実況を担当(当時、CBCテレビは開局前)。ドラゴンズが日本一に輝いた瞬間を全国に伝えた。
その53年後、宇井が実況して以来53年ぶりの日本一となる2007年の日本シリーズ第5戦の模様を東京都江戸川区の自宅で観戦、「これまで『中日の日本一を見るまでは死ねない』と言っていた私ですが、思い残すことはありません。落合よ、落合よ。よくぞやってくれた」と感慨に浸った。しかし、その4か月半後に宇井は火災で焼死した。
また、宇井は野球雑誌・ホームラン編集部制作の「12球団全選手カラー百科名鑑」(1999年まで「12球団全選手百科名鑑」)第1号(1977年発行)の中継担当アナウンサー名鑑において紹介文を担当した。