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宇野ヘディング事件

日本プロ野球における「珍プレー」の元祖となった失策 From Wikipedia, the free encyclopedia

宇野ヘディング事件(うのヘディングじけん)[1]は、1981年(昭和56年)8月26日に後楽園球場で行われた読売ジャイアンツ(巨人)対中日ドラゴンズ19回戦における、中日に所属していた宇野勝の失策である。

開催日時 1981年8月26日 (1981-08-26)
開催球場 後楽園球場
概要 中日ドラゴンズ, 読売ジャイアンツ ...
1981年 読売ジャイアンツ対中日ドラゴンズ19回戦
読売ジャイアンツ対中日ドラゴンズ19回戦が行われた後楽園球場と後楽園競輪場(左上)(1984年)
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)(現・地図・空中写真閲覧サービス)の空中写真を基に作成
チーム
開催日時 1981年8月26日 (1981-08-26)
開催球場 後楽園球場
開催地 日本の旗 日本 東京都文京区
監督
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概要

試合経過

1981年シーズンの巨人は、この日までで1980年(昭和55年)8月4日の対広島東洋カープ17回戦(後楽園球場)からの連続試合得点記録が158試合続いており、当日は159試合目だった[2]。中日の先発である星野仙一もこの記録を知っており、「オレが止める!」と並々ならぬ気迫で試合に臨んでいた。

試合は星野の快投の前に巨人打線が沈黙し、6回終了の時点で僅か2安打無得点に抑えられていた。一方の中日は4回表に宇野が巨人先発・加藤初から右翼線へ適時二塁打を放って先制すると、5回表には富田勝が右翼席へ追加点となるソロ本塁打を放って加点する。中日が2点をリードして迎えた7回裏に、一死後に代打で出場した柳田真宏の一塁線のゴロを谷沢健一がトンネルし[3]、柳田は二塁へ向かう。続く代打のゲーリー・トマソンは凡退して二死二塁となると、巨人監督の藤田元司はこの日無安打の1番・松本匡史に代えて山本功児を起用する。藤田による3者連続での代打起用となったが、山本は力の無いポップフライを遊撃手後方へ上げる。中日の遊撃手・宇野は打球を追いかけて後退しながら捕球体勢に入り、左翼手・大島康徳もバックアップのために宇野のすぐ後方まで前進しながら宇野に捕球を任せていた。打球を見た星野は宇野の捕球を確信して三塁側ベンチへ歩きかけ、観客の中には席を立ちかける者も現れた。ところがこの直後、まさかの出来事が起こる。

捕球態勢に入っていた宇野が捕球に失敗し、打球が宇野の右側頭部を直撃、サッカーのヘディングのように大きく放物線を描いて跳ね返ったのち、左翼フェンス際へ転々と転がっていった。宇野は頭を押さえたままその場に蹲り[4]、バックアップに入っていた大島も大きく後逸した打球を追って慌ててフェンス際へ走っていき、二塁手・正岡真二も慌てて中継プレーの体勢に入った。三塁側ベンチへ戻りかけていた星野は思いもよらぬ出来事に三塁と本塁の間で呆然としたのち慌てて本塁後方へ走って回り、捕手・中尾孝義は二塁走者の柳田の生還を顔面蒼白のまま見つめるしかなかった。ようやく大島が打球を処理し、正岡から中尾への懸命な中継プレーによって打者走者の山本は本塁憤死となったが、二死のために柳田は山本が打った瞬間にスタートを切っていたため、巨人は159試合連続得点を達成した。

この突然の出来事に球場の観客は大爆笑となり、離席しかけていた観客の中には再び着席して観戦を再開した者もいた。本塁まで走った山本の生還を阻止したために同点にはならなかったものの、記録を阻止できなかった星野はバックネット付近で自身のグラブを地面に叩きつけて悔しさを露わにした。その後、試合は両軍無得点のまま中日が勝利し、星野は狙っていた完封こそ逃したものの9回1失点(自責点0)で完投勝利を挙げ、巨人の同点を防いだことで宇野には勝利打点が記録された。

試合後

星野は試合後も悔しさと怒りで荒れ狂い、宇野に対して「後でカラダ空けとけ!!」と怒鳴りつけた。宇野は必死に「空いてません!」と答えるが、後年になって宇野は雑誌のインタビューにて、宇野を気遣った星野から「メシでも行くか」と声を掛けられたものの、当日に宇野の兄が来ているので断ったと述べている[5]。ただし、翌日のスポーツ紙は1面に宇野のヘディングの写真が掲載されるなど一堂にこのプレーを取り上げており、これを見た星野は「オレの一面(本来なら星野が巨人の連続試合得点記録を止めた内容が掲載されると思われた)を取りやがって…」と話している。グラブを地面に叩きつけたことについても、取材陣に対しては「同点になったらヘディングどころかオウンゴールだ。怒ったのは宇野に対してじゃない。完封が無くなったのが悔しかったから」と大人の対応を見せた。

星野が激怒した理由はもう一つあり、後輩の小松辰雄と「どちらが先に巨人を完封するか」という賭けを10万円で行っていた[2]。星野は「巨人を止めるのは、オレかお前(小松)か、マサだ。止めたほうが10万だ」と小松に持ち掛け、小松は「良いっすよ」と返答したという[6]。そして星野は結果的にこの一連の流れで完封を逃し、小松は同年9月21日の対戦(ナゴヤ球場)で完封勝利を挙げて連続試合得点記録を174試合で止めた。同年がプロ4年目だった小松は開幕を抑え投手として迎えており、7月中旬に先発へ転向してこの試合がプロ初の完封勝利となった[2]が、星野から前述の賭けを告げられたのは小松が先発転向を告げられた直後で、プロ入り後も先発自体はあったものの数える程度しかなく、完封に至っては当然未経験だった。そんな中で星野が持ち掛けた賭けは小松の先発としての実力を認めていたからこそで、完封勝利を挙げた翌日には星野から「おめでとう」と10万円が渡されたという。

当事者の宇野はこのプレーをきっかけに一夜にして時の人となり、宇野には報道陣が多数詰めかけて取材申し込みが相次いだ。さらにこのプレーが「プロ野球ニュース」(フジテレビ系)で、みのもんたが面白おかしくナレーションを入れて放送されたことをきっかけに、「プロ野球珍プレー・好プレー大賞」がシーズン終了後に開始され「珍プレー」が定着し、宇野自身も元祖として番組に出演していた。しかし宇野自身はこのプレーについて「ヘディング自体は翌日の新聞に掲載されることは覚悟していたが、それよりも“宇野 ヘディング『事件』”。事件と書かれたことは相当堪えた」と述べている。さらに原因について「スパイクのケン(歯)が人工芝に引っ掛かりそうになったため」だと言い、事件という表現には嫌な響きを感じたと語っている[7]。小松も後年、「あの時(1981年8月)の後楽園は風が強かった。宇野さんにはあのプレーのイメージがあるけど、守備は上手だった」と述べている[6]。

その他

  • 宇野はその後、遊撃手としては2025年現在でも史上唯一となる本塁打王を獲得しており、現役引退後は名古屋の米穀会社である共和食品「山水米」の広告に出演し、米袋をヘディングする演出があった[要出典]。1986年(昭和61年)には自伝「ヘディング男のハチャメチャ人生」(海越出版社)を出版している。
  • TBS系のテレビ番組『風雲!たけし城』では、この事件をパロディにした「君も宇野君」というゲームがあった。
  • TBS系のテレビ番組『水曜日のダウンタウン』の「芸人が今までで"一番面白かった瞬間"は誰が見ても面白い説」にて、サンドウィッチマンの伊達みきおがこの事件を一番面白かった瞬間として紹介した。

類似のプレー

概要 映像外部リンク ...
映像外部リンク
Martinez homer aided by Canseco's head - ヘディングによる本塁打、ホセ・カンセコの守備、1993年5月26日
Rumfield's homer bounces off outfielder's head - ヘディングによる本塁打(後に4進塁エラーに記録訂正[8])、ジョー・アデルの守備、2026年6月2日
以上いずれもMLB公式YouTube
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ここでは宇野のプレーと似ていると言及されたものを挙げる。

脚注

関連項目

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