当年及び近年のシーズン成績
| 年 |
成績 |
リーグ |
勝 |
敗 |
分 |
率 |
平均得点 |
平均失点 |
開幕時監督 |
| 1981 |
日本一 | 優勝 | 73 | 48 | 9 | .603 | 3.98 | 3.22 | 藤田元司 |
|
| 1980 |
レギュラー敗退 | 3位 | 61 | 60 | 9 | .504 | 3.90 | 3.46 | 長嶋茂雄 |
| 1979 |
レギュラー敗退 | 5位 | 58 | 62 | 10 | .483 | 4.26 | 4.22 | 長嶋茂雄 |
| 1978 |
レギュラー敗退 | 2位 | 65 | 49 | 16 | .570 | 4.66 | 3.91 | 長嶋茂雄 |
| 1977 |
日本シリーズ敗退 | 優勝 | 80 | 46 | 4 | .635 | 4.98 | 3.88 | 長嶋茂雄 |
| 1976 |
日本シリーズ敗退 | 優勝 | 76 | 45 | 9 | .628 | 5.08 | 3.88 | 長嶋茂雄 |
| 1975 |
レギュラー敗退 | 6位 | 47 | 76 | 7 | .382 | 3.64 | 3.92 | 長嶋茂雄 |
| 1974 |
レギュラー敗退 | 2位 | 71 | 50 | 9 | .587 | | | |
| 1973 |
日本一 | 優勝 | 66 | 60 | 4 | .524 | | | |
| 1972 |
日本一 | 優勝 | 74 | 52 | 4 | .587 | | | |
| 1971 |
日本一 | 優勝 | 70 | 52 | 8 | .574 | | | |
3年間優勝から遠ざかるチームを立て直すため、この年からかつてのエース・藤田元司が監督に就任[3]。藤田監督は就任後、引退したばかりの王貞治を助監督にすえ、牧野茂をヘッドコーチに招聘してチームの立て直しを図った(当時トロイカ体制と呼ばれた)。ユニフォームも1974年以来の早稲田文字が復活するなど、原点回帰のデザインに変更された。チームは4月の10連勝で開幕ダッシュに成功し、5月後半から引き分け挟んで9連勝を記録。8月に5連勝、9月に7連勝するなど2位とのゲーム差を広げていき、9月23日には2位の広島が中日に負けたこともあり、チームは4年ぶりのリーグ優勝を決めた。日本シリーズでは日本ハムを4勝2敗で破り、V9最後の1973年以来8年ぶりの日本一に輝いた。投手陣では長嶋茂雄前監督が1979年オフの地獄の伊東キャンプで鍛えた江川卓や西本聖をはじめ定岡正二、加藤初が開幕からローテーションを守り、抑えには角盈男が控えるなど、チーム防御率は2.88で2年連続リーグ1位だった。江川(20勝6敗)西本(18勝12敗)加藤初(12勝6敗2セーブ)の3本柱がチーム73勝のうち50勝を上げた[4]。打撃陣でもこの年入団して新人王を獲得した原辰徳が22本塁打を放ってルーキーながら打線の中心となり、中畑清、篠塚和典、松本匡史、ロイ・ホワイトなども活躍した。この年から一塁手に転向した4番の中畑は過去最高の成績を残し、二塁手のレギュラーとなった篠塚も阪神の藤田平と首位打者を争うなど、投打が噛み合っての優勝だった。シーズン終了後、大洋から移籍し代打でチームに貢献した松原誠とV9戦士の柴田勲が揃って引退した。カード別成績では最下位大洋に20勝4敗2分けと相性がよく、同一カード9連勝も含めて前半戦で15勝2敗2分と大きく勝ち越した。