守屋善兵衛
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備中国小田郡大井村東大戸2087番地(現在の岡山県笠岡市)に生まれる。1876年、祖父の名を継いで善兵衛と改名する。地元の学校に学ぶが1880年上京し、東京外国語学校(旧外語)および独逸学協会学校でドイツ学を学ぶ[4]。1883年、東京に欧亜学館を設立する。
1885年からは政府各省の依頼により、種々のドイツ語文書を翻訳する[5]。その後台湾総督府の後藤新平、児玉源太郎などの知遇を得、1898年、台湾日報社と台湾新報社を合併して台湾日々新報社を創立し、社長となる[6][7]。
1909年、台湾日々新報社を辞職し、東京市赤坂に転居する[8]。1911年、満洲日日新聞社の社長に就任し、1916年まで務める[9]。1912年には東京府荏原郡大崎町(現在の東京都品川区)に新邸が完成し移転する。1917年からは、東京製紙株式会社、東北板紙株式会社などを創立し、経営にあたる。
1923年、目黒の新邸に転居する。1927年に病を得、1930年12月10日に没する。