安保解散

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安保解散(あんぽかいさん)とは1960年10月24日衆議院解散の俗称。

1960年1月に岸内閣は日米安全保障条約を改定した新条約に調印し、第34回通常国会で審議された[1]。しかし、岸信介が政策とした新安保条約は国民各層の安保条約破棄運動を無視したことに全国民的な反対運動が展開された[1]。国会では5月に衆議院での強行採決を経て参議院で採決が行われず30日経過後の自然承認という形となった[2]。しかし、岸政権の強引な政治手法に全国民的な反対運動は岸内閣退陣を求める安保闘争に発展して国会周辺での大規模デモに発展し、ハガチー事件や樺美智子死亡事件やドワイト・D・アイゼンハワーアメリカ大統領の訪日延期決定がされるなどの混乱が生じ、新安保条約の批准書が日米間で交換される形で発効された6月23日に岸内閣は退陣を表明し、7月15日に総辞職をした[3]

岸首相の後継として自民党総裁選を経て池田勇人自民党総裁となり、7月18日に池田が首相に選出された[4]

野党は新安保条約をめぐる政府への国民の反感をチャンスととらえ、早期のうちの解散総選挙を目指す[5]。一方で池田内閣は岸内閣への反感を和らげ、できるだけ選挙時期を遅らせる方針を取った[5]

池田首相は安保問題で引き起こされた国論の分裂を癒そうと「寛容と忍耐」の政治をスローガンとし、外交面では日米安保体制の堅持を経済面では所得倍増計画をそれぞれ掲げた[6]。池田首相はこの政策を掲げて9月8日の共立講堂での第一声を皮切りに全国遊説を開始した[7][8]

10月17日に第36回臨時国会が開かれ、治安問題に関する議案が処理された後で、10月23日に持ち回り閣議で衆議院解散の閣議決定を行った[9]。内閣首席参事官が熊本国体に出席していた昭和天皇が滞在する熊本のホテルを訪れ、署名がされた[7]。10月24日に解散詔書が議長席に座る中村高一衆議院副議長に手渡され、中村副議長が解散詔書を朗読する形で衆議院が解散された[7]。日本国憲法下で衆議院副議長が衆議院の解散詔書を朗読したのは唯一である。

その後の経緯は第29回衆議院議員総選挙を参照。

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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