安倍吉平

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時代 平安時代中期
生誕 天暦8年(954年)?
 
安倍吉平
時代 平安時代中期
生誕 天暦8年(954年)?
死没 万寿3年12月18日1027年1月28日
官位 従四位上主計頭
主君 一条天皇三条天皇後一条天皇
氏族 安倍氏
父母 父:安倍晴明
兄弟 吉平吉昌
時親、平算、国時、章親、奉親
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安倍 吉平(あべ の よしひら)は、平安時代中期の貴族陰陽師播磨守安倍晴明の長男(異説あり)。官位従四位上主計頭

一条朝正暦2年(991年)に陰陽博士であり、正暦4年(993年)頃に陰陽助寛弘5年(1008年)頃に主計助などを経て、寛弘8年(1011年)頃以降は没するまで約15年に亘って主計頭を務めた。後一条朝初頭の長和5年(1016年)に従四位下に叙され、治安元年(1021年)の春日大社行幸の準備の功労によって、陰陽師としては異例の従四位上に至った。またこの間の寛仁3年(1019年天文博士の職を兼務していた弟・吉昌が没するが、権天文博士・秦久邦は天文道の知識に乏しい上に伊予国に居住していたため、吉平が天文密奏宣旨を受けている。

吉平は父である晴明と同じく、藤原道長藤原実資などに重用されている。

このように、吉平は安倍晴明の後継者であり、また天文道宗家ひいては陰陽道宗家として弟の吉昌、もう一方の陰陽道宗家である賀茂氏の賀茂光栄らと共に陰陽寮を取り仕切っている。

伝説

吉平にも父・晴明と同じように伝説が残っている。

  • ある時、吉平が友人である医師の丹波雅忠と酒を飲んでいた。しかし、雅忠は話に夢中になって手の杯に注がれている酒を飲まずに話をしていた。と、吉平が急に「早くその杯の中の酒を飲んでしまわねば地揺れ(地震)が来ますよ」と告げた。すると、そのすぐ後に実際に地震が来たという(『古今著聞集』)。
  • 藤原師実の大邸宅が一度も火災に遭った事がないのは、屋敷の寝殿の長押や棟木に吉平の手による呪符が貼られていたためという(『古事談』)[1]

これらの話が示すように、吉平も父・晴明に劣らず有能な陰陽師であったことが窺える。また、占いの名手でもあり「指すの御子」とも呼ばれていた。

吉平庶兄説

一般的に、安倍晴明には二人の子がいて、長男が吉平・次男が吉昌とするのが通説であるが、吉平と吉昌の生年差が1年程度(正確なことは解明されていない)しかない事などから、安倍吉平は庶兄で、吉昌が嫡男とする説もある(小坂真二など)。

ただし、藤原実資の『小右記』や藤原道長の『御堂関白記』では、安倍吉昌よりも吉平が多く用いられており、安倍晴明の後継者は吉平であるとの認識をされていた可能性は捨てきれない。この状況は吉昌が陰陽頭に任じられていても変わらず、よって安倍吉平が嫡男であるとの見方は未だに強い。

官歴

系譜

脚注

参考文献

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