安宅常彦
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| 安宅 常彦 あんたく つねひこ | |
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| 生年月日 | 1920年8月31日 |
| 出生地 |
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| 没年月日 | 1998年10月18日(78歳没) |
| 死没地 |
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| 出身校 | 仙台逓信講習所普通科 |
| 前職 | 山形県労働組合総評議会議長 |
| 所属政党 | 日本社会党 |
| 称号 | 勲二等旭日重光章 |
| 選挙区 | 旧山形2区 |
| 当選回数 | 6回 |
| 在任期間 | 1960年11月20日 - 1979年9月7日 |
安宅 常彦(あんたく つねひこ、1920年〈大正9年〉8月31日[1] - 1998年〈平成10年〉10月18日[1])は、昭和期の労働運動家、政治家。日本社会党衆議院議員(6期)。全電通東北地方本部委員長、山形県労働組合評議会議長、日朝国交正常化国民会議事務局長を務めた[2]。
政界入り
現在の山形県村山市で生まれる[1]。1936年(昭和11年)仙台逓信講習所普通科を卒業[1][3]。山形楯岡郵便局、山形電気通信部で勤務した[3]。
1952年(昭和27年)全電通東北地方本部委員長[1]、1955年(昭和30年)山形県労働組合総評議会議長に就任する[1]。
1960年(昭和35年)第29回衆議院議員総選挙で衆議院議員に初当選[1][3][4]。以来、旧山形2区から日本社会党の公認を受け立候補し、連続6回当選する[1][3]。この間、社会党内では山形県本部委員長、電通合理化対策特別委員会事務局長、朝鮮問題対策特別委員会副委員長、ロッキード・グラマン等調査特別委員会副委員長、出稼対策特別副委員長、議会制度に関する特別副委員長などを務めた[3]。
野次による告発・公認喪失による引退
1978年(昭和53年)2月6日開催の衆議院予算委員会[5]において、自由民主党の浜田幸一衆議院議員に「強姦野郎!」と野次を飛ばされた[6]。三宅久之によると、社会党は当初、浜田を懲罰委員会にかけると息巻いていたが、当の安宅が提訴を取り下げてほしいと言ってきた。事情を聞くと、確かに女性問題があり、もみ消しのために内閣官房長官田中六助に金の工面を依頼していた。このため次の衆院選で社会党は公認を出さなかったという[7]。 この野次の件は朝日新聞でも報じられた[8]。
1979年(昭和54年)から超党派の日朝国交正常化国民会議事務局長を務めるが[9]、前述の通り、この年の第35回総選挙では社会党から公認を得られず、政界から引退した。